ムスメの一時帰国 5日目 ハハ胃痛
朝は普段通りに庭仕事をして、朝食を食べて、デイホームからのお迎えを待っていた。お迎えのスタッフが家に着いた時にはトイレから出てきて、フラフラと床に座りこんでしまった。
急遽、デイホームはお休みすることにした。病院に連れて行こうにも歩けないので、デイホームまでムスメがタクシーで行き、車椅子を借りてきた。
午前中はこんこんと眠って、昼過ぎに起きてきた時には胃痛も治まり、昼食も普通に食べられた。念のために胃薬は飲んでもらった。
疲れが溜まっていたようで、午後も眠っていた。
夕飯も食べて、今朝胃が痛かったことは忘れていた。
ムスメの一時帰国 4日目 チチとハハのなれそめ
ムスコ家族と夕飯を食べた。
何度も同じことを話したし会話が成立しないこともあったが、ハハは嬉しそうにしていた。
チチとハハはお見合い結婚なのだが、ハハの中ではチチは小学校の同級生ということになっていた。
翌日にはムスコ家族と会ったことはすっかり忘れていたが。
ハハ、2度目の国際電話
こちらの朝5時だった。電話をかけてきて、ムスメがアメリカにいるとは思っていなかったようで、某市にいるんじゃないの?と驚かれた。
ちなみにムスメはハハの言う某市には住んだことはない。ハハの祖父母の家があった場所なのだ。
用件はなくて、ここ一年、誰からも電話がかかってこない=私は誰からも好かれていない=私はみんなにあんなに良くしてあげたのに=もう生きている価値がない、というものだった。
ムスメは毎朝電話をしていることは言わなかった。朝早かったのでまだ半分寝ぼけながら、うんうんと話を聞いていた。
少なくともムスコが国際電話料金に驚いて、ムスメの電話番号の書いてある紙を壁から外さないように祈るだけだ。
ハハ、初めての国際電話
アメリカの明け方に電話がかかってきた。日本からの電話だと直感でわかったので、寝ぼけ眼で出たら、ハハだった。
ハハから国際電話がかかってきたことは一度もなかったし、ハハ自身もムスメがアメリカにいることは理解しているので国際電話をかけようと思ったことはなかったんだと思う。
ハハは自分が国際電話でアメリカにかけたことに驚き、ムスメはハハが国際電話をかけられたことに驚いた。
ハハとしては、妹(ムスメの叔母)に電話したつもりだったらしいが。
用件は、頭の中がぐちゃぐちゃで、何がどうなっているのかさっぱり分からない、ということだった。夕食を食べた形跡はあるけれど、これからどうしたらいいのか分からないと興奮気味だった。電話帳がないから誰に電話していいか分からないし(これはムスコが保管していて、ハハが無闇に人に電話をかけないようにしてある)、お金は全然ないし(これもムスコが管理している)、ムスコのところには電話がつながらない(盗人呼ばわりされるので受信拒否している)、もうこのまま死ねばいいのね!と言って電話を切った。
口調も声もはっきりしていたので、体調は悪くなさそうだった。明日は日曜日で一日1人で過ごさなければならない。多めに電話して様子を見てみよう。
年末年始はショートステイ
デイホームがお休みになる年末年始はショートステイに行っている。
初日はご機嫌だったが、次の日には自分の部屋がどこなのかが分からなくなって混乱していた。元旦に電話してみたが、お正月だということは全く分かっていなかった。久々にハハが死にたいと言うのを聞いた。
老人ホームに入居するには、混乱が落ち着くまでには時間がかかるだろう。グループホームに入居するにはまだしっかりしすぎている。
あの時、老人ホームを退所せずにいたら、今頃は友達もできて楽しく過ごせていたのだろうか。
悪者は誰か?
ハハは元気だが、混乱していた。
ハハの兄が家に来て色々と物を盗んで行った様子を微に入り細に入り話し、決して家にあげないこと、どんなに優しい言葉をかけられても信用しないようにと声高に話し続けた。
これはハハの完璧な妄想である。ハハの兄(ムスメの叔父)は認知症で、車を運転してハハのところまで来ることはできないのだ。
ハハとハハの兄の間には両親の遺産のことで確執があり、それがこういう形で現れたのだと思う。
話しているうちに、ムスメと話しているのかハハの妹と話しているのかがハッキリしなくなってしまい、ムスメに家がハハの兄からは近いんだから、絶対に家にあげないようにと再三言われた。
ムスメとしては介護者であるムスコが悪者になるよりも、離れて住んでいる叔父が悪者になってくれた方がありがたいとも思うのだが、気持ちは複雑である。