minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメの一時帰国6 泥棒は人殺しへ

ハハはまだチチの死を完全には理解していない。

葬儀を行ったことは全く覚えていないし、当然葬儀に誰が来てくれたかも覚えていない。

 

家の祭壇をみて、「お葬式はしたの?」「どこでしたの?」「誰が来たの?」とムスメにきく。ここまでくると、ムスメは地雷原を歩く気分になる。次の質問は当然

 

「お香典はいただいたの?」と「葬式にはいくらかかったの?」である。

 

ハハはお金に取り憑かれている。ムスコが盗むという妄想から抜け出せない。そこへ香典と葬式代の話になると、再びムスコへの不信感がドロドロと噴き出してくる。

 

ムスコがチチの年金をハハの目の前で盗んで逃げた上に、生活費を一銭もくれない。私は食べるものもない生活を強いられている。あの子は泥棒で、人殺しよ。

 

ああ、もう何も誰もハハの妄想を止められない。話は日に日に事実と現実から遠ざかっていく。ムスコは泥棒で、ついには人殺しになってしまった。

 

 

ムスメの一時帰国5 ハハ豹変する

それまでにこやかに話していたハハだったが、ムスコ家族が帰るとハハは豹変した。

 

表情が急に険しくなり、声のトーンは2オクターブほど上がり、早口になってまくし立てた。

ムスコが3日前に家に来ていてチチの今月分の年金を銀行通帳も一切合切持ち去ってしまった。私を苦しめるためにお金を一銭もくれない。食べるものも買えない、美容院にも行けない。お金がなくなることが心配で、この夏もクーラーもつけていない、とお金がないからどれだけ苦しんでいるかを滔々と述べ、

 

「あの子は泥棒よ」

「もうあの子は敵なの」

「もうあの子とは縁切りしたの」

 

と言い放った。

 

そして、何度も何度もその話を繰り返した。

 

チチの葬儀の日の夜のことだ。真面目な銀行員だったチチは家族がお金のことで言い争うのもとても嫌がっていた。それなのに、ハハの怒りと不安と混乱はもうムスメの理解を超えた所にしか存在しないようだった。

口は達者だが、話している内容はもう現実とは大きくかけ離れたハハの世界にしかない。

ムスメは否定する気も、ムスコの弁護をする気も、ハハの気持ちに寄り添うこともできなかった。

 

ムスメの一時帰国4 母とチチの葬儀

7月31日はチチの葬儀だった。

 

家に祭壇が設置されたからだろう。ハハの質問は「パパは死んだの?」から「パパはいつ死んだの?」に変わっていた。

 

礼服があるのか、誰に葬儀のことを知らせたのか、誰が参列するのか、お金はあるのか、と何度も何度も聞かれた。

 

チチの兄弟に会えてハハははしゃいでいた。チチが穏やかに亡くなったと言ったかと思えば、苦しんで死んだと言ってみたり、話しは破茶滅茶だったが、それ聞く面々も上は御歳85歳である。否定せず聞いてくれていた。

 

葬儀が終わり、身内で精進落としをして帰宅した。ムスコが車で自宅まで送ってくれた。遺骨や位牌を祭壇に設置して、花を飾ったり、昔のアルバムを見てご機嫌に過ごしていたが、ムスコ家族が帰った途端、ハハは豹変した。

 

 

 

 

 

 

ムスメの一時帰国3 ハハの混乱

お悔やみの電話がかかるようになってきた。家族とハハの特に親しかった友人たちにしか知らせていないのだが、それでも人のツテで心のこもった電話がかかってくる。

 

家の電話にかかってくれば、私が出て説明ができるのだが、ほとんどハハの携帯にかかってくる。そうするとムスメとしては万事休すと言う気持ちになって、電話するハハの隣に何となくいたりするようにした。ハハはチチが亡くなったことを覚えていないからだ。

 

電話の相手がチチのことを言うと、ハハは得意になって「立って1時間も話す」とか「不平不満を決して言わないで安定している」とか話したりするのだ。あんまりそれが長くなると電話の相手も戸惑うので、途中でムスメが代わりに事情を説明することになる。そうすると

 

「え?パパ死んだの?」

「いつ?」

「私会いに行った?」

「誰に聞いたの?」

「お葬式はいつ?」

 

と質問攻めにあう。

 

それを電話がかかる度に繰り返した。

 

ムスメの一時帰国2 ハハと納棺

納棺式へ行って来た。

ムスコが車で迎えに来たのだが、そこで一悶着があった。

 

「そんなこと今初めて聞いた」と言うのだ。

いやいや、2歳児に言い聞かせるように、ムスメは何度も伝えたし、ハハ本人も今日の予定を何度も確認していたのに。ムスコとムスメは帰国後初めて顔を合わせたので、怒涛のごとく事務連絡をしていたのも、気に入らなかったらしい。話についていけないので傷ついた、もっと分かるように説明してもらわないと傷つく、そんなんだったら行かない!と言い始めた。

 

そこは2歳児である。ちょっと話題を変えたらご機嫌が治ったので、無事納棺式へと向かうことができた。

式はとてもシンプルだが丁寧で、チチが大切に扱われているとムスメは感じていた。

半年ぶりに会うチチは穏やかな顔をしていた。

 

ハハはチチに話しかけ、納棺師さんたちと談笑していた。そして葬儀当日の打ち合わせをして帰宅した。

ムスメの一時帰国1 ハハの動揺

ハハの動揺は、悲しみにではなく不安に支配されている。

遺族年金がいくらになるのか、ムスコがお金を盗んでいくから手元に一銭もない、葬式代がいくらかかるのか、入院費は払えるのか諸々のお金の不安が9割で、残りの1割が誰に葬儀のことを知らせるか、ということしか話さない。

 

チチとハハの兄弟には連絡したし、家族葬だから他の人には知らせなくていいと何度言っても分かってもらえない。

 

それでも不安の合間に「天寿を全うしたから」と言うこともあり、でも会いに行った時にはチチは歩いてきて色々話した、とも言うこともある。現実と妄想と願望は混然一体している。

 

チチがアルツハイマーを発症して20年、施設に入居して7年、思えばハハの介護生活も長かった。そのハハも介護される時が来た。

チチ、旅立つ

退院できるくらい安定していたのだが、その日は突然やってきた。

 

午後2時の時点では何も変わりがなかったが、午後3時の時点ではすでにチアノーゼが出ていて、すぐに病院に搬送された。その時点ではもう心肺停止だったそうだ。

ムスコに連絡があり、ムスコ、お嫁さん、子供二人、叔父(チチの弟)とハハが病院へ駆けつけて、死亡を確認した。

 

その知らせを受けてムスメは翌日のフライトを予約した。

 

2018年7月25日だった。