minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハと冷房のリモコン

猛暑の東京。

ハハは電気代を節約しようとするに違いないし、リモコンを失くしてしまっているかもしれないし、リモコンの電池が切れていても交換できないだろうとムスメは心配していた。

 

どうやら、デイサービスのスタッフがハハが冷房のスイッチを入れてたことを毎日確認してくれているそうだ。

利用者を車から降ろして業務終了としないで、いちいち自宅に上がり確認してくれているだなんて、本当にありがたいことだ。デイサービスに滞在している間以外での生活全体をケアしてもらっている。柔軟な対応をしていただいている。

 

チチの在宅介護をしている時、ムスメは介護保険のことを「ありがたいけれど、痒いところに手が届かない」サービスと言っていた。利用者それぞれのニーズがあるのに、システムにチチのニーズを合わせてケアプランを作っていた時期もあったからだ。

 

今では介護保険のことを「ホリスティックな」システムと呼ぶだろう。

それはデイホームのスタッフの方々の熱意、気遣い、プロ意識に支えられている。杓子行儀のお役所仕事も人間の手にかかれば、ハハにとっては必要不可欠なサポートとなる。

 

 

ハハの話を聞くコツ

ハハの話は何が事実か分からない。遠距離では確認できないことが多すぎて切ないが。

 

ムスコがハハの金銭管理しているが、以前は「ムスコが留守中に無断で預金通帳や印鑑の全てを持ち去った」と言っていたが、今では「3日前にムスコがやって来て目の前で通帳を持ち去った」と言っている。

どちらが事実なのかは、もうここでは問題でない。ハハにとっての真実は「ムスコがお金をくれなくて、優しくしてくれなくて寂しい」というもので、それを「ムスコがお金を盗んでいる」という表現を借りているだけにすぎないからだ。それは気分次第で、ムスコへの怒りになり、不満になり、憐みになったりするのだ。

 

これが分かっていないと、ことばの挙げ足取りなってしまうし、金銭管理ができると思っているハハを否定することになる。

以前は、事実関係をはっきりさせて、ハハのできることと、できないことの区別をつけて認識して欲しい、と思っていたこともあったが、それは無駄だと気づいた。歳をとればできないことも増えてくる。ハハにもプライドがある。事実関係をはっきりさせてもハハの寂しさやら怒りやら不安は解決できないのだ。

もう今となってはひたすら話を聞くことしかできない。

 

それでも反論することはある。

ムスメもムスコ夫婦も同居しないけれど、だから親に不幸になってもらいたいわけではない、ということだ。ムスメは親を捨ててアメリカに行き、ムスコはハハを苦しめるためにお金を取り上げたとハハが言えば、そこは反論することにしてるが。

 

言葉尻を捕らえないこと、コツはこの一言に尽きる。

 

 

 

 

ハハと災害

大阪で地震がありましたね。

こちらでは報道されていなかったので、ネットで後から知りました。

 

東北大震災の時のことを思い出していました。

私は都内で仕事をしていました。電話が通じなかったので、仕事を片付けて実家に行ったら、ハハは大量のお米を炊いてオニギリを作っていました。

 

チチは要介護5で、まだ在宅介護していました。ケアマネさんが自転車で駆けつけてくれて無事を確認してくれましたっけ(非常に優秀なケアマネさんでした)。

 

トイレットペーパーの買い占めがおこり、どこの店でもトイレットペーパーは売り切れだったのに、ハハは地元の酒屋で区のリサイクルトイレットペーパーを入手して、意気揚々と帰ってきました。

 

そんなハハはもういないのです。

今、大地震が起こったら、弟夫婦と一緒に過ごすか、私がアメリカに連れてくるかしないと乗り切れないだろうと思います。

 

東北大震災後、ハハの胆石が暴れ出し、手術を3回受けることになったのでした。それを機にチチは老人ホームへ入居となりました。その後、私は渡米することになり、ハハは認知症になりました。

 

今思えば、あの地震が転換期だったなあ。

 

 

 

 

チチ、入院

チチが入院した。

胃瘻の逆流が続き、痰が増え、血中酸素が低下していて、肺炎のリスクが高いそうだ。

 

ムスコは医師から看取りの説明を受けた。

 

ハハはチチが入院したことを忘れてしまっている。

お見舞いに一人で行くことがもうできないので、それでいいのかもしれない。心配せず、デイホームに通っている方がいい。チチはそれを許してくれるはず。

 

 

 

一人狂うとみんな狂う、とハハが言う

チチに認知症の症状が出始めた頃にハハがよく言っていた。引きこもり、飲酒、物忘れ、徘徊が複雑に絡み合って一気に現れたため、家族は変化に対応するのに苦労したのだった。

 

ハハとしてみたら、夫の定年後はゆっくりと旅行でもしながらのんびり暮らすのを夢みていたようだったが、その夢は無残に打ち砕かれた。

チチの介護を生活の中心にすえて、自分の両親の介護も引き受けたのだった。曜日ごとに分担が決められていた。ハハ、叔母たち、ムスメと看護師の従姉妹とヘルパーとでなんとか1週間をやりくりしていた。

誰かが風邪引いたら終わりだよね、とムスメと従姉妹はよく話していた。それだけギリギリの綱渡りだった。

 

それと同じセリフをハハが再び言うようになった。

意味は全く違う。ハハはムスコの事業がうまく行っていないので親の年金を盗んでいる、と言う文脈で使っている。

 

手元にある現金が5万円でも10万円でも失くなっちゃう方が狂ってるんだけどなあと、ムスメは思う。

ニューメキシコ州の修道院にて

ニューメキシコ州にある修道院に宿泊してきた。50人を超える修道士がカトリック信仰を基に共同生活を送っているのだそうだ。

20歳台から高齢者は80歳台の男性が伝統的な規律に従って生活しているのを一部だが観察、体験してきた。高齢の修道士は杖をついていたり、車椅子だったり、酸素ボンベを装着していた修道士も見受けられた。

それでも、共同体の中で生活していけるのである。勤労はできる若者がすればいいし、食事は食事当番が毎日三食作ってくれるのである。できることは自分でして、できないことはできる人にやってもらう。修道士だって病気にだってなるだろう、認知症にもなるだろう。それでも共同体が機能していれば、自分のできないことを誰かが補完してくれることが可能なのだ。自分のできることがどんどん少なくなって行くのは悲しいだろうけれど、それでも生かされている場があるというのは生きる支えになるだろう。

 

と、高齢の修道士をみながら、ハハのことを考えていた。

ハハもできないことがどんどん増える。が、フレンチトーストは焼けるのだ。ちょっと手助けしてもらえれば、ハハにでもできることはまだまだ沢山あるのだ。ハハも自分が誰からも必要とされていないと感じることも減るだろう。

だが、その共同体を家族に要求してはダメなのだ。家族の枠を広げて、もっと大きな枠の中で生きて、活かされていくことはできないものか。

 

人里離れた修道院でそんなことばかり考えていた。

 

 

 

ハハ、再び落ち込む。

最近のハハは怒らない。以前は、ムスコ夫婦に対する怒りや不平不満で一杯で口汚く罵っていたのに。

ムスコ夫婦から連絡が全くない、だから私はもう誰からも必要とされていない、だから生きていたくない、というループから抜け出せないようだ。

 

それでも月曜日から土曜日まではデイホームに行っているので、楽しいこともあり、気が紛れるから何とかなっているが、日曜日は一人で過ごさなければならない。好きなテレビは「のど自慢」くらいらしい。気が紛れるのは1時間だけ。かと言って、友達を誘って出かける、とか友達を家に呼んでお茶する、とかいうのは面倒らしい。

 

困ったものだ。

ムスコは日曜日仕事だし、日曜日に来てくれるヘルパーや家事ボランティアも探してもらっているのだが。

 

一人で暮らすのはもう限界なのか?でも老人ホーム入居は嫌がるし、話しを聞いているムスメも八方塞がり感で一杯だ。