minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメの一時帰国4 母とチチの葬儀

7月31日はチチの葬儀だった。

 

家に祭壇が設置されたからだろう。ハハの質問は「パパは死んだの?」から「パパはいつ死んだの?」に変わっていた。

 

礼服があるのか、誰に葬儀のことを知らせたのか、誰が参列するのか、お金はあるのか、と何度も何度も聞かれた。

 

チチの兄弟に会えてハハははしゃいでいた。チチが穏やかに亡くなったと言ったかと思えば、苦しんで死んだと言ってみたり、話しは破茶滅茶だったが、それ聞く面々も上は御歳85歳である。否定せず聞いてくれていた。

 

葬儀が終わり、身内で精進落としをして帰宅した。ムスコが車で自宅まで送ってくれた。遺骨や位牌を祭壇に設置して、花を飾ったり、昔のアルバムを見てご機嫌に過ごしていたが、ムスコ家族が帰った途端、ハハは豹変した。

 

 

 

 

 

 

ムスメの一時帰国3 ハハの混乱

お悔やみの電話がかかるようになってきた。家族とハハの特に親しかった友人たちにしか知らせていないのだが、それでも人のツテで心のこもった電話がかかってくる。

 

家の電話にかかってくれば、私が出て説明ができるのだが、ほとんどハハの携帯にかかってくる。そうするとムスメとしては万事休すと言う気持ちになって、電話するハハの隣に何となくいたりするようにした。ハハはチチが亡くなったことを覚えていないからだ。

 

電話の相手がチチのことを言うと、ハハは得意になって「立って1時間も話す」とか「不平不満を決して言わないで安定している」とか話したりするのだ。あんまりそれが長くなると電話の相手も戸惑うので、途中でムスメが代わりに事情を説明することになる。そうすると

 

「え?パパ死んだの?」

「いつ?」

「私会いに行った?」

「誰に聞いたの?」

「お葬式はいつ?」

 

と質問攻めにあう。

 

それを電話がかかる度に繰り返した。

 

ムスメの一時帰国2 ハハと納棺

納棺式へ行って来た。

ムスコが車で迎えに来たのだが、そこで一悶着があった。

 

「そんなこと今初めて聞いた」と言うのだ。

いやいや、2歳児に言い聞かせるように、ムスメは何度も伝えたし、ハハ本人も今日の予定を何度も確認していたのに。ムスコとムスメは帰国後初めて顔を合わせたので、怒涛のごとく事務連絡をしていたのも、気に入らなかったらしい。話についていけないので傷ついた、もっと分かるように説明してもらわないと傷つく、そんなんだったら行かない!と言い始めた。

 

そこは2歳児である。ちょっと話題を変えたらご機嫌が治ったので、無事納棺式へと向かうことができた。

式はとてもシンプルだが丁寧で、チチが大切に扱われているとムスメは感じていた。

半年ぶりに会うチチは穏やかな顔をしていた。

 

ハハはチチに話しかけ、納棺師さんたちと談笑していた。そして葬儀当日の打ち合わせをして帰宅した。

ムスメの一時帰国1 ハハの動揺

ハハの動揺は、悲しみにではなく不安に支配されている。

遺族年金がいくらになるのか、ムスコがお金を盗んでいくから手元に一銭もない、葬式代がいくらかかるのか、入院費は払えるのか諸々のお金の不安が9割で、残りの1割が誰に葬儀のことを知らせるか、ということしか話さない。

 

チチとハハの兄弟には連絡したし、家族葬だから他の人には知らせなくていいと何度言っても分かってもらえない。

 

それでも不安の合間に「天寿を全うしたから」と言うこともあり、でも会いに行った時にはチチは歩いてきて色々話した、とも言うこともある。現実と妄想と願望は混然一体している。

 

チチがアルツハイマーを発症して20年、施設に入居して7年、思えばハハの介護生活も長かった。そのハハも介護される時が来た。

チチ、旅立つ

退院できるくらい安定していたのだが、その日は突然やってきた。

 

午後2時の時点では何も変わりがなかったが、午後3時の時点ではすでにチアノーゼが出ていて、すぐに病院に搬送された。その時点ではもう心肺停止だったそうだ。

ムスコに連絡があり、ムスコ、お嫁さん、子供二人、叔父(チチの弟)とハハが病院へ駆けつけて、死亡を確認した。

 

その知らせを受けてムスメは翌日のフライトを予約した。

 

2018年7月25日だった。

 

ハハと冷房のリモコン

猛暑の東京。

ハハは電気代を節約しようとするに違いないし、リモコンを失くしてしまっているかもしれないし、リモコンの電池が切れていても交換できないだろうとムスメは心配していた。

 

どうやら、デイサービスのスタッフがハハが冷房のスイッチを入れてたことを毎日確認してくれているそうだ。

利用者を車から降ろして業務終了としないで、いちいち自宅に上がり確認してくれているだなんて、本当にありがたいことだ。デイサービスに滞在している間以外での生活全体をケアしてもらっている。柔軟な対応をしていただいている。

 

チチの在宅介護をしている時、ムスメは介護保険のことを「ありがたいけれど、痒いところに手が届かない」サービスと言っていた。利用者それぞれのニーズがあるのに、システムにチチのニーズを合わせてケアプランを作っていた時期もあったからだ。

 

今では介護保険のことを「ホリスティックな」システムと呼ぶだろう。

それはデイホームのスタッフの方々の熱意、気遣い、プロ意識に支えられている。杓子行儀のお役所仕事も人間の手にかかれば、ハハにとっては必要不可欠なサポートとなる。

 

 

ハハの話を聞くコツ

ハハの話は何が事実か分からない。遠距離では確認できないことが多すぎて切ないが。

 

ムスコがハハの金銭管理しているが、以前は「ムスコが留守中に無断で預金通帳や印鑑の全てを持ち去った」と言っていたが、今では「3日前にムスコがやって来て目の前で通帳を持ち去った」と言っている。

どちらが事実なのかは、もうここでは問題でない。ハハにとっての真実は「ムスコがお金をくれなくて、優しくしてくれなくて寂しい」というもので、それを「ムスコがお金を盗んでいる」という表現を借りているだけにすぎないからだ。それは気分次第で、ムスコへの怒りになり、不満になり、憐みになったりするのだ。

 

これが分かっていないと、ことばの挙げ足取りなってしまうし、金銭管理ができると思っているハハを否定することになる。

以前は、事実関係をはっきりさせて、ハハのできることと、できないことの区別をつけて認識して欲しい、と思っていたこともあったが、それは無駄だと気づいた。歳をとればできないことも増えてくる。ハハにもプライドがある。事実関係をはっきりさせてもハハの寂しさやら怒りやら不安は解決できないのだ。

もう今となってはひたすら話を聞くことしかできない。

 

それでも反論することはある。

ムスメもムスコ夫婦も同居しないけれど、だから親に不幸になってもらいたいわけではない、ということだ。ムスメは親を捨ててアメリカに行き、ムスコはハハを苦しめるためにお金を取り上げたとハハが言えば、そこは反論することにしてるが。

 

言葉尻を捕らえないこと、コツはこの一言に尽きる。