minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

伊藤比呂美さんのインタビュー②

伊藤先生のインタビューを聴いて、ふつふつと思っていたのが、「その人が正義になる」という言葉でした。

 

ああ、だから私はハハと距離を置きたいのだ、と腑に落ちました。

ハハが正義だからです。ハハは義理の両親を送った後、自分の両親と夫を介護したのですが、まあその情熱の入れようたるや、周囲は振り回され、非難され、多くの亀裂をもたらしました。

ハハの愛情深さが裏目に出ました。その愛情ゆえに自分のやり方が正義と化しました。自分のやり方に合わなければ、心冷たい人非人だと激しく非難しました。

 

他人の手は借りられる限り借りました。それでも手が足りないのが在宅介護です。子供、孫、孫の友人のツテを総動員しての介護でしたが、それぞれに家庭、仕事、学校、人生があり、そこから無理して作った時間を介護に当てても、それが足りないと詰られました。

 

ハハにとっては美しい自己犠牲であったのかもしれません。非難された側とすれば、それはハハの自己満足にしかすぎませんでした。

 

ムスメにとっては、ここに母娘関係が凝縮されているのでした。

ハハは正義なので、ハハの意向に添わなければそれは自動的に不義とされてしまうので、ハハと同意できることが少ないムスメは正義と戦うか、正義の前に口を閉ざすかしか生き延びる道がなかったのです。

だからなるべく距離を置くことで休戦状態を保とうとしていたのでした。

 

認知症のおかげで、ハハの正義は肥大していくばかりです。

私はこれだけ親に尽くしたのだから、ムスメもムスコも私と同じように親に尽くすべきだというハハの理論は、ハハが正義になってしまったことを証明しています。

 

 

こうやって書くとハハが毒親みたいですが、決してそうではないのです。

幸せに暮らして欲しいと思っているのです。育ててもらって感謝しています。 

歳をとってくれば、ハハの正義は社会の正義の縮図であったかもしれないと思うようにもなりましたけどね。

 

やっぱり伊藤先生は頼りになります。

「ハハが正義になった」という言葉を使えるようになったおかげで、ハハとの関係が言語化できるようになりました。