minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハと電話がつながらなくても

スカイプ経由ハハには電話しているのだが、接続が不安定なことがある。

途中で断線したりすることは、まあよくあることだ。

 

ハハが電話に出ないこともあるし、電源が入っていないですよメッセージが流れることもある。

 

それでも、毎朝デイホームのスタッフの方が迎えに来てくれる。日曜日はヘルパーさんが来てくれることがわかっているから、心配することはあまりない。

ハハが孤立してしまうことはないからだ。

 

介護保険がなかったら、デイホームがなかったら、ムスコが同居しなければならなかったかもしれないし、ムスメは渡米できなかっただろう。ムスコ家族は苦労しただろうし、ムスメは機会を奪われたことを一生恨んだかもしれない。

 

有難い。

ハハ、親戚の夕食会に無事に参加

日曜日の親戚の集まりは無事開催されて終了した。

 

やはり、当日まで行くだの行かないだのとすったもんだはあったのだが、ヘルパーさんに美容院に連れて行ってもらい、従姉妹が上手に取りなしてくれて、タクシーに乗ったとのことだった(それでもこんな贅沢はしたくない、歩けるから電車で行くと言い張ったらしいが)。

タクシーの中では例によって、ムスコの悪行を延々と従姉妹に話したが、驚いたことにチチのことも何度も話したという。ムスメにチチのことを話すことなんかないのに。

 

ハハにかかると、チチはムスメの隣の布団で寝ていて、朝起こしに行ったら亡くなっていたことになっていた。大好きなムスメの隣で死ねたんだから幸せよね、と何度も言ったそうだ。

チチが亡くなった当初は、日曜日に会い行ったら立ってお喋りした。次の週の日曜日に行こうと思っていたけれど行かなかったら翌日亡くなってしまい、無理してでも会いに行かなかったことをとても後悔していた。

どちらのバージョンもハハのフェイクニュースで現実ではないのだが、後悔するよりも、幸せに死んだチチがハハの中にいる方がずっといい。

 

 

スジとか聾桟敷とか、とんだ薮蛇だった

今週の日曜日に親戚の集まりがある。

ハハの兄も妹も甥や姪も参加できるし、ムスコの所で集合することになった。ハハの兄も妹も認知症なので、親の世代を子供が連れての会食となる予定だ。ムスコは料理担当のため、ハハを迎えに行けないのだ。

ハハとムスコの家は同じ区内にあるのだが、電車を使うと乗り換えに乗り換えを重ね1時間ほどかかる。その乗り換えが非常に困難で、新宿にしても渋谷にしても、歩くのが億劫なハハと行くとなればもっと時間がかかるだろうし、ハハがどこへ行くのに電車に乗っているのか覚えていられるかどうか疑わしい。かと言って、タクシーを呼ぶような贅沢をハハは許さないので、お金が全くないと思い込んでしまっていることもあるし、今回は参加できないだろうと残念に思っていた。

 

が、ハハの姪(ムスメの従姉妹)がハハを家まで迎えに行ってくれると助け舟を出してくれた。

 

今朝ハハにそれを伝えたのだが、いやはや薮蛇だった。

まず、第一声は

「そんなこと聞いてない」(今初めて言ったんだだから)

 

まあこれは想定内だった。本来であれば、長男であるハハの兄が企画してハハにお伺いを立てるのがスジだからだ。

 

「そんな集まりをする予定があるなら言ってもらわないと」(いやいや十数人集まる人の予定を調整するのが大変だったからね)

「聾桟敷に追いやられてるのね」(予定調整させるのも申し訳ないと思ったからさ)

「どうせ電車に乗るお金もないんだから」(お金はお財布の中に入っているじゃん)

「それにご飯食べるお金もないんだから」(ムスコが料理するから甘えたらいいのよ)

「どうせ私なんか嫌われてるのよ」(……)

「だからそんな集まりには行かない!」と言って電話が切れた。

 

当日、姪が現れれば、ここまで不機嫌で失礼なことは言わないと祈るしかない。

 

ハハのフェイクニュースの裏にあるファクト

ムスコがお金を盗んでいく、義理の姉が親切にしてくれなくて悔しかったというハハの思い込みにはハハの本音が隠されている。

自分を犠牲にして義理の両親と同居して介護、自分の両親は実家へ泊まって介護、子供のためを思って全力で子育てをしたのに、ムスコは泥棒に成り下がり、ムスメは親を捨ててアメリカへ行ってしまった。

 

私がこれだけ犠牲を払ったのに、誰も理解していないし感謝もしていない。私の時間を返してくれ。私に感謝しろ。私には見返りを受ける権利がある。

 

と、ハハは叫んでいる。

 

自分を犠牲にすることを強制された集合的女性の叫びでもあり、自分の人生を生きたかった一人の人間の叫びでもある。

認知症はこのハハの真実を変換、上書きすることをゆるさないのだ。

 

ハハの妄想が膨らんできたのか?

ハハは口が達者である。元々お喋り好きで、長電話の女王であった。

 

そんなハハにかかると、ハハの思い込みや妄想は事細かに語られるようになる。

普段は、ムスコが来て預金通帳を盗んで行った時の様子を語るだけなのだが、ここ数日は、義理の姉(チチの姉、ムスメの叔母)を訪ねて行ったら家に一歩もあげてもらえず、玄関で立ち話をして、お茶一杯も出さず帰された時の様子を滔々と語っていた。

もし、ハハの病気の事を知らない人が聞いたら、ハハを信じただろう。それだけ描写もしっかりしていた。

 

しかし、義理の家族が話題になるのは珍しい。険悪な仲ではなかったが、気軽に行き来できるような近い関係ではなかったのに、いきなり訪ねて行ったところまで話が飛躍したのには正直驚かされた。

ハハの中で何かが変わったのだろうか?

 

ハハの頭の中で考えたことと、実際に行動したことの区別がつかなくなっているのだろうか?

 

ハハと台風

台風一過の日曜日、ハハはいつも通りだった。

昨日までの大雨のことは覚えていなかった。

 

お天気でデイホームのない日曜日は家でのんびりするのだと言っていた。

ヘルパーさんが来ることは忘れているのか、少なくとも文句は言っていなかった。

 

無事で何より。

しかし、独居の認知症の高齢者に避難勧告が出されたら、どうしたらいいのだろう?

 

 

ハハの近況

ハハは相変わらずである。

電話をしてもムスコへの不満、不信感とお金のことしか話さない。

 

それでも機嫌のよい時もある。

朝食に美味しいパンを食べたと言うこともある。

デイホームに行く直前に電話すると、迎えのバスが来るのを楽しみに待っていることもある。

 

時差の都合でどうしても朝起きた直後に電話することが多いのだが、不安が強いのは朝起きた時のようだ。

今日はデイホームに行く日なのか、食べるものはあるのか、お金はあるのか、デイホームのお迎えは何時なのか、分からないので混乱して不安になってしまうことが多い。

それでも、冷蔵庫の中には何かが入ってるし、お財布には現金があると伝えれば、一瞬でも安心する。次の瞬間には再び不安の波にのまれ、それをムスコのせいにするというセカンドウェーブが来る。

 

それの繰り返しである。

銀行に紛失届を提出しちゃった事件に比べれば、平和なものである。