minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

チチ、入院

チチが入院した。

胃瘻の逆流が続き、痰が増え、血中酸素が低下していて、肺炎のリスクが高いそうだ。

 

ムスコは医師から看取りの説明を受けた。

 

ハハはチチが入院したことを忘れてしまっている。

お見舞いに一人で行くことがもうできないので、それでいいのかもしれない。心配せず、デイホームに通っている方がいい。チチはそれを許してくれるはず。

 

 

 

一人狂うとみんな狂う、とハハが言う

チチに認知症の症状が出始めた頃にハハがよく言っていた。引きこもり、飲酒、物忘れ、徘徊が複雑に絡み合って一気に現れたため、家族は変化に対応するのに苦労したのだった。

 

ハハとしてみたら、夫の定年後はゆっくりと旅行でもしながらのんびり暮らすのを夢みていたようだったが、その夢は無残に打ち砕かれた。

チチの介護を生活の中心にすえて、自分の両親の介護も引き受けたのだった。曜日ごとに分担が決められていた。ハハ、叔母たち、ムスメと看護師の従姉妹とヘルパーとでなんとか1週間をやりくりしていた。

誰かが風邪引いたら終わりだよね、とムスメと従姉妹はよく話していた。それだけギリギリの綱渡りだった。

 

それと同じセリフをハハが再び言うようになった。

意味は全く違う。ハハはムスコの事業がうまく行っていないので親の年金を盗んでいる、と言う文脈で使っている。

 

手元にある現金が5万円でも10万円でも失くなっちゃう方が狂ってるんだけどなあと、ムスメは思う。

ニューメキシコ州の修道院にて

ニューメキシコ州にある修道院に宿泊してきた。50人を超える修道士がカトリック信仰を基に共同生活を送っているのだそうだ。

20歳台から高齢者は80歳台の男性が伝統的な規律に従って生活しているのを一部だが観察、体験してきた。高齢の修道士は杖をついていたり、車椅子だったり、酸素ボンベを装着していた修道士も見受けられた。

それでも、共同体の中で生活していけるのである。勤労はできる若者がすればいいし、食事は食事当番が毎日三食作ってくれるのである。できることは自分でして、できないことはできる人にやってもらう。修道士だって病気にだってなるだろう、認知症にもなるだろう。それでも共同体が機能していれば、自分のできないことを誰かが補完してくれることが可能なのだ。自分のできることがどんどん少なくなって行くのは悲しいだろうけれど、それでも生かされている場があるというのは生きる支えになるだろう。

 

と、高齢の修道士をみながら、ハハのことを考えていた。

ハハもできないことがどんどん増える。が、フレンチトーストは焼けるのだ。ちょっと手助けしてもらえれば、ハハにでもできることはまだまだ沢山あるのだ。ハハも自分が誰からも必要とされていないと感じることも減るだろう。

だが、その共同体を家族に要求してはダメなのだ。家族の枠を広げて、もっと大きな枠の中で生きて、活かされていくことはできないものか。

 

人里離れた修道院でそんなことばかり考えていた。

 

 

 

ハハ、再び落ち込む。

最近のハハは怒らない。以前は、ムスコ夫婦に対する怒りや不平不満で一杯で口汚く罵っていたのに。

ムスコ夫婦から連絡が全くない、だから私はもう誰からも必要とされていない、だから生きていたくない、というループから抜け出せないようだ。

 

それでも月曜日から土曜日まではデイホームに行っているので、楽しいこともあり、気が紛れるから何とかなっているが、日曜日は一人で過ごさなければならない。好きなテレビは「のど自慢」くらいらしい。気が紛れるのは1時間だけ。かと言って、友達を誘って出かける、とか友達を家に呼んでお茶する、とかいうのは面倒らしい。

 

困ったものだ。

ムスコは日曜日仕事だし、日曜日に来てくれるヘルパーや家事ボランティアも探してもらっているのだが。

 

一人で暮らすのはもう限界なのか?でも老人ホーム入居は嫌がるし、話しを聞いているムスメも八方塞がり感で一杯だ。

 

 

 

ムスコの悩み

ハハはめちゃくちゃである。お金の管理はできず、あれだけ好きだった茶道もやめ、料理もできなくなった。1日に何度も何度も電話がかかってきて、お金がないと文句を言われ、渡した現金は渡したそばから消えていき、挙げ句の果てには盗人呼ばわりされる。

 

チチの老人ホームに一緒に行っても、翌日には行ったことすら覚えていない。泥棒が入ろうとしていると何度も言うようになった。一人暮らしで不安なのに老人ホームには入りたがらない。

 

老人ホームに強制入居させようかとも思うが、デイホームが気に入っているだけに、生活環境を急激に変えたくないとも思う。デイホームのスタッフからはもう少し我慢すればお金に対する執着が薄らぐから、少し楽になるかもしれないとも言われた。

お金の執着がなくなれば、優しいムスコになれるのに。

 

しかし、現金の失くなり方は尋常ではない。空き巣に入られているのかもしれない。防犯カメラをつけようとも思うが、老人ホームに入居させるのであれば不要な出費は抑えたい。

どうしたものか。

ハハと借金 その後

ハハが妹からお金を借りているのが発覚した。

どうやらその現金は念入りに隠して、まだ手元にあるらしい。「命金」と称して何かがあった時のために使わないでおくのだという。

 

ムスコやムスメが渡した現金はどんどん紛失するのに、妹から借りたのは失くならないというのはどうしてなのだろう?

という疑問はさておき、手元の現金がハハに多少の安心感を与えたことは事実である。

 

 

 

だが、家計を管理しているムスコへの不信感は増幅するばかりである。

心を鬼にして財産を守っているムスコは、生活費を渡さないケチなムスコから事業に失敗して親の年金を盗むムスコになってしまった。

 

主たる介護者が最も疑われやすいのだという。何という皮肉なことだろう。

 

 

 

ハハと借金

ハハが借金をしていることが発覚した。

 

現金が手元にないことが不安でたまらなかったらしく、ハハの妹に電話して送ってもらったらしい。総額5万円ほどだ。

もちろん、送ってもらった5万円はとっくにどこかへ消えてしまった。

 

もうキリがないよ、というのがムスコの弁。何かを買った形跡はない。引き出しはグチャグチャなので、隠されたらもう見つからない。渡しても渡しても消えていく。本人はなくしたことさえ分からない。

 

借りた相手が親族でよかった。消費者金融でなくて。