minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハと鍵 新たな被害妄想

実家の玄関には2つの鍵が付いている。

1つは外からの侵入者を防ぐもの、もう1つは家の中から外に出られなくするものだ。徘徊がひどかった父が一人で外出できなくするための苦肉の策で付けたものだった。父が老人ホームに入居してからもずっとそのままになっていた。そう、ムスメが閉じ込められた外鍵である。

 

ハハには何を言っても通じないので、ムスメが黙って鍵を外したのだ。一人暮らしのハハには必要はなく、防犯上全く役に立たないものだし、実家に幽閉されるのもごめんだし。ムスメが帰国中に鍵がなくなったことさえ、ハハは気づいていなかった。

だから、ムスメは気にも止めていなかった。

 

それが、思わぬ被害妄想を生む結果となってしまったのだ。ムスメがアメリカに戻って来て一ヶ月以上も経つのに、玄関の鍵が壊されている、泥棒が家に侵入しようとしている、交番へ届けた方がいいのか、と繰り返し言うようになってしまった。

 

あの外鍵はかけても内側から開かないようになっているだけだから、泥棒よけにはならないからね。ムスメが家に閉じ込められてとても困ったから外したんだからね、と言っても聞く耳は持たない。鍵が外されているのに気づいたのは2日前だからだと言う。

 

ムスコがハハやチチの財産を盗んでいるという被害妄想が強くなっているところへ、鍵が外されているのが目にとまり、

お金がない+鍵が外されている=泥棒が侵入しようとしている=通帳やキャッシュカードを持ち去ったムスコが泥棒だ

という妄想ループが出来上がってしまい、そこから抜け出せなくなっている。

 

だから一人暮らしは不安だから老人ホームへ入居したいという気持ちにはならず、ムスコ夫婦と同居したいと言うのだから、もうムスメには訳がわからない。

 

だが、被害妄想がひどくなって来たことだけは確実である。

 

夜中のメール

最近はハハの調子が良かった。平日はデイホームへ行き、日曜日は来客があって、電話の声も生き生きとしていて、ムスメは安心していた。何とかこのまま持ち堪えられないものかと、この状況が維持できれば、ハハの行きたがらない老人ホームへの入居を先送りにできるのでないかと、淡い期待を抱いていたのだ。

 

日本の夜中の時間に「電話下さい」とメールが来たので、何事かと思って電話した。

 

何のことはない、いつも通りの愚痴が出るわ出るわ。ムスコへの不平不満と怒りとお金に関する不安で一杯だった。どうやらムスコを盗っ人呼ばわりしたらしく、叱られたらしい。

 

1時間話を聞いたが、もちろん何も解決せず。

もちろん、ハハは解決策を求めているのでもなく。ハハが求めているのは人の優しさや暖かさ、気遣い、生きていてもいいと思わせてくれる何かなのだ。勝手にお金を持ち去るムスコ、会いにこない孫、電話の一本もかけてこない嫁、外国にいるムスメではどうしても埋められない。

 

お金を盗られたという認知症の対応には「それでは一緒に探しましょう」というのが効果的だとどこかで読んだが、遠距離の場合はどうしたらよいのだろうか?

 

結局、ムスメがちらりと弟を庇うようなことを言ったら、「分かってくれないんだったらもういい!」と電話を切られてしまった。

 

弟はもう限界かもしれない。

 

 

ハハの被害妄想 新たな展開

平日はデイホームに行くので、元気がいい。平日に電話するとデイホームを楽しみにしている様子が伝わって来る。

 

だが、日曜日は一転して落ち込みが激しい。

日曜日2000円作戦はまだ定着していない。お金が一銭もないから朝から何も食べずにずっと寝ている、と言うので、昨日2000円もらったでしょう。それで何か食べればいいのよ、と毎週同じことが繰り返している。

 

昨日の日曜日は、お金がないことへの不安がことさら強く、ムスコが生活費を渡さないことへの不満を延々と繰り返し、ついにはムスコの商売が上手くいっていないから、留守中に来て現金も銀行通帳も全て持ち去ったと言っていた。

 

今までは現金が手元にないことを嘆くことはあっても(それは今でも変わっていないが)、毎日夕食どきに訪ねて来る友人が盗んだかもしれないと言うことはあっても、決してムスコが盗んだと言うことはなかった。

 

どうにかこのハハの不安をやわらげる方法はないものか。現金は渡しただけすぐに消えてなくなるし、銀行の口座は空になるし、お金がなくなればムスコが盗んだと言うし、もう万策尽きたのか。

 

 

 

 

ハハのバックアップはいつのもの?

ハハと話しているとちぐはぐになることが多くなった。例えば、ハハの育った島根県での同級生で今は東京在住の友人の話をしていたのだが、どうも話しが噛み合わない。

ハハはその友人がまだ島根県に住んでいると思っていたからなのだった。

 

その友人が東京に住むようになったのはもう10年も前のことで、しかも電車で乗り換えなしの15分の距離になったので、お互いに良く行き来していたのに、それが思い出せないらしい。まあここ2、3年は会っていなかったので記憶に残っていなかったのだろう。

 

そんなハハと話していて、これはパソコンが壊れてしまい、バックアップを復元した時のようだと思った。バックアップを最近していなくて、復元されたものが5年前のデータだった、みたいな。

 

ハハのバックアップはいつものなのだろか、と思った。

 

色々な体験が今までとは違う形で上書きされる場合もある。ハハの介護の体験は「奪われた私の時間を返して欲しい」というものから「私は自分の人生を犠牲にして義理の両親に尽くして良かった(だからムスメ、ムスコ、ヨメが同じようにするべきだ)」というデータに上書きされた。

これもまた、別のデータに上書きされる日が来るのだろうか?

 

 

老人ホーム強制入居案 再燃

ハハを老人ホームに入居させようかという案が再浮上している。

 

ムスコとハハが見学に行った施設が自由度が高くて良かったそうなのだ。

もちろん、ハハは断固拒否。月々使用料を払うのは馬鹿馬鹿しい、自分の人生は自分で決めたいとムスコに啖呵を切ったそうだ。

 

ムスコとしては日曜日もどこかデイホームへ行くようにして、一人で過ごす時間を減らすようにして、このまま凌ぐか、体験入居といいつつ入居させてしまうか迷っている。

 

ムスメとしても一人暮らしは不可能ではない、が色々と難しいことは多々ある。今老人ホームに入居すれば、新しい環境に慣れる時間もあるし友達もきっとできるだろう。茶道教室だってできるかもしれない、と願う。だが、今がそのベストなタイミングなのかと問われれば、自信を持って答えることはできない。

 

ちなみに、自分の人生は自分で決めたいと言ったハハにムスコは言ったそうだ。

「だったら、死にたい死にたいって言うのは止めてくれ」

日曜日2000円作戦

ハハは金銭管理が全くできなくて、お金がないことに対する不安感が強い。一人で過ごさななければならない日曜日を何とか凌いでもらおうとデイホームと相談して土曜日の帰り際に2,000円を渡してもらうように、現金を託してきた。

 

ムスコがお金を一銭もくれないから、日曜日は朝から食べるものがないし、つまらないし朝からずっと寝てると言っていた。これで何か近所に食べるものを買いに行くことくらいはできるだろう。

ハハにしてみたら少ない額だろうが、これ以上渡して失くされるのもツライし、とりあえず試してみた。

 

これがうまくいけば、月曜日から土曜日までをデイホームで過ごし、日曜日は一人でのんびりと好きなものを食べる生活ができれば、ハハが行きたがらない老人ホームに入居せずに自宅で生活できるのだ。

 

ムスメは淡い一抹の希望を胸に日曜日に電話した。

 

第一声はいつも通り、ムスコがお金を一銭もくれないと言うので、デイホームから2,000円もらわなかったかと聞いてみた。一瞬何を言われているのか分からないかったハハだが、そう言えば何かもらったような気もするが、言われていることがよく分からなかったと言った。

 

結果は撃沈である。

 

何度か繰り返して習慣化させれば記憶に定着するのだろうか。ハハの不安感は軽減されるのだろうか。

まだまだ試用期間中である。ムスメが日曜日に電話して確認することにしよう。

 

 

ムスメの一時帰国 番外編2

ハハは空港へ見送りに来たいと言ったのだが、心を鬼にしてムスメは断った。

 

空港から家まで一人で帰れるかどうか不安だったこと、午後一人で過ごさなければならないこと、そして特大スーツケース2つとバックパックを背負いハハと一緒に乗り換えできるか心配だったこともある。ラッシュアワーは過ぎているので、リムジンバスではなく電車で空港に向かう予定にしていたからだ。

 

都営地下鉄浅草線に乗り換えようと三田駅を歩いていたら、なんと浅草線が事故で止まっていた。アルミ風船が高架に絡まり、撤去作業中で運転再開の見通しは立っていないとのこと。羽田空港へ向かうには、浅草線の乗り入れで遅れているかもしれない京急を避けて、浜松町からモノレールに乗ればいいと駅員さんが教えてくれた。

 

が、スーツケース2つ歩いて三田駅から田町の駅まで歩くのが大変だったこと。エスカレーターのない階段ばっかりじゃん!汗だくになりながらスーツケースを1つずつ階段で運んでいると、手を貸してくれる男性が現れた。田町駅までスーツケースを1つ運んでくれた。どこぞのお方がわかりませんが、あの時は本当に助かりました。ありがとうございます。お陰様で空港には無事に着くことができました。

 

ハハが一緒だったら、三田駅から田町駅の長い乗り換えは無理だったと思う。歩くのはムスメの5倍時間がかかる。スーツケースがなかったとしても、地上は浅草線に乗れなかった人で溢れていてタクシーも拾えなかったし。空港でゆっくりできなかっただろうし。冷たいムスメで申し訳ないが、今回はそれで正解だった。