minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメの一時帰国 11日目 空港で

空港まで見送りに来たいハハだったが、デイホームに行った方がいいとムスメが説得した。午後を一人で家で過ごすくらいなら、デイホームで人と一緒の方がいい。

 

ハハを送り出してから、ご近所に挨拶に行った。お節介で世話好きの元気なおばちゃんたちである。若い頃は鬱陶しいと思ったが、今となっては有難い。

 

空港のゲートに着いてからは色々な人に電話をかけた。

デイホーム、薬剤師、ハハの妹(ムスメの叔母)、ハハの友人たち。ハハの妹は「何かあったら駆けつけてあげるから、心配しないでアメリカに帰りなさい」とハハの友人の一人は「年をとれば皆んな一緒だから」と言ってくれた。

 

介護は一人ではできないのである。たとえ、ムスメが日本にいたとしても一人では無理である。こうなったら色々な人に甘えて、頼って、感謝することしかできないのだ。今回はありがたく甘えさせていただこう。

 

 

 

ムスメの一時帰国 10日目 最終日 ハハと洋服ダンス

ムスメの一時帰国の最終日である。明日の昼には空港へ向かう。

 

昼間は区役所へ行き、チチが特別養護老人ホームに入居できないかどうかの相談に行っていた。諸々の用事を済ませて、帰宅してからハハの洋服ダンスの整理をすることにした。

 

デイホームの人にも言われていたし、ハハ自身も気にしていたが、着るものがなくて毎日同じものを着ているのだと言う。いやいや、毎日それなりに違ったものを着ているように見受けられたが、洋服ダンスを開けてみて合点がいった。

洋服が多すぎるのだ。多すぎて選べないのだ。

 

もともと買い物好きのハハであった。ハハが新しい洋服を買うたびに、ムスメは「もう一枚たりとも買ってはダメ」と言っていた。

 

認知症になったハハをみて学んだのは、「目の前にないものは存在しない」ということだ。冷蔵庫の中のジャムも果物も、冷凍庫の中のパンも、棚の奥に押し込んだ通販で買ったサプリや美容液も、毎日顔を見せに来ないムスコ夫婦も、今ここにないものは、この世に存在しないのである。

 

まずは引き出しを開けたら何が入っているのかを見える化しなければならない。

とりあえずは、タンスの中に入っているものを全て出した。そして、夏物、冬物、下着、パンツ、小物類に分別してハハの帰りを待った。

 

ハハはデイホームから帰って来て、山と積まれた服をみて驚いたが、喜んで整理に参加してくれたので助かった。一枚一枚、必要なものと捨てるものとムスメが貰うものに分けて、収納した。

あまりの洋服の多さに「もう一枚たりとも買ってはいけないね」と言っていたので、少しの間でも洋服ダンスが整っていてくれたらいいと思った。

50リットルのゴミ袋に一杯の不用品がでた。ムスメも着られそうなものは少しもらって帰ることにした。ハハとはサイズが全く合わないのだが、アメリカでは古着が寄付しやすいのだ。着られないものは寄付すればいい。

 

本当はクローゼットも衣装ケースの中身も整理したかったのだが、今回は時間切れとなってしまった。ムスメしては物を減らして生きることの大切さを再認識した。

ムスメの一時帰国 9日目 ハハと金の延棒

ハハとデイホームでは交換日記をしている。ハハも言われた通りに毎日書いている。

ハハが見せてくれたので読んでみた。予想通りお金の不安と寂しさが大半だったが、ある日曜日に金の延棒を売りに来たセールスマンが来たことが書いてあった。

 

感じのいい若いセールスマンだったので、家に上がってもらって話しを聞いたと言うのだ!

 

いやいや、いくら感じのいい人でも、見知らぬ人を家にあげてはダメである。一度でも認知症の高齢者が一人暮らしをしていると知れたら、その後誰が何を売りに来るか、はたまた修理を持ちかけて来るか、想像するだけで恐ろしい。

 

デイホームの返信でも知らない人を家に上げてはいけません。玄関で追い払いましょう、としっかりと赤字で書いてくれていた。

 

セールスマンが来たことをハハは覚えていて、延棒は一本360万円だったわよ、と言った。ハハにお金を持たせていなくてよかったと思えるのは、こんな時である。ムスメだってすんでのところで80万円払っちゃったかもしれないのだ。

一人暮らしの高齢者ほど美味しいカモはいない。

 

現在、ハハの家計は全てムスコが管理している。預金通帳もキャッシュカードも印鑑もクレジットカードもムスコが持っている。ハハにお金を渡せば、渡しただけ消えていく。銀行口座もあるだけ現金を引き出してマイナスになったことは一度ならず。しかも、その現金がどこへ消えたか全く謎なのだ。使った形跡ないのに現金の形成もない。

ムスメも家中探した。ベッドの下も見たし、ついには畳も上げた。食器棚も床下収納も全部見た。だが、現金はおろか財布も無い。

 

時またニュースで、古い家を取り壊したら現金が沢山出て来たと言うニュースで見るが、認知症で誰かに盗られるのではないかと被害妄想に陥り床下に埋めたりしたんだろうかと思ったりした。

 

ムスメの一時帰国 8日目 ハハと妹

ハハと妹(ムスメの叔母)は仲が良い方だと思う。

お互いに遠慮なくなんでも言い合うので、口喧嘩になることも多々あるようだが、すぐに仲直りができているらしい。

 

価値観は違うものの熱心な仏教徒であるハハの妹は、ハハが毎日繰り返す愚痴を辛抱強く聞いてくれる貴重な存在である。

 

が、その日は様子が違った。どうやら電話の向こうで泣いているらしい。夫がもうすぐ帰ってくるのに夕食の支度ができない、疲れて体が動かない、近くに買い物に行ける場所がない、どうしたらいいのか分からないとハハに泣きついているのだ。

 

従姉妹たちによると、ハハの妹は人と一緒の時はなんでもないけど、昼間一人で家にいるときは鬱がひどくて、抗うつ剤を飲んでいるのだそうだ。

 

その電話に対応しているハハは驚くほどシャンとしていた。普段は不平不満が一杯で、できないことばかりでダメダメなのだが、一旦頼られるとしっかりするものなのだ。酔っぱらいを介抱する側は酔いが覚めるとはよく言われることだが、まさにそうだった。

フレンチトーストも焼いてもらえばいいのだ。

 

 

 

ムスメの一時帰国 番外編

一時帰国した初日、トイレを使ったら何やら聞き覚えのないボコボコいう音が聞こえた。ちゃんと流れたので気にしていなかったが、次の日にはトイレの水が溢れ出るという事態に発展した。

 

近所に馴染みの水道屋がいないので、冷蔵庫に貼ってある宣伝用のマグネットの電話番号に電話して、今日来てくれる業者に依頼した。

 

ただトイレが詰まったとタカをくくっていた私が甘かった。

 

業者の説明のよれば、トイレの配管に問題はなく、家の下水管から区の下水管に繋がる連結部分が古い石でできているタイプで、その石が割れてそこに汚物が流れずにたまり詰まりの原因になったのだという。

 

とりあえず今日高圧洗浄をして詰まりを除去してとりあえずトイレが使えるようにはできるが、壊れた石を直して新しいパイプに交換するのは明日、しかも80万円かかるのだという。

 

80万円!基礎は古い実家である。何が壊れていても不思議ではないけれど、今ここで80万円の出費は厳しすぎる。ハハが紛失してしまった貯金の額が大きすぎた。

 

弟に連絡したらとりあえずトイレを使える状態にまでしてもらえばいいという。駆けつけた業者が信頼できる業者かどうか分からないからだ。

 

後日、弟の知り合いの紹介で信頼できる業者に来てもらった。配管が家の下を走っているために新しいパイプに交換することはできないし、連結部分は言われたほど壊れてはいないという。

ただ、ハハが最もよく使う新しいトイレは節水タンクなため、流れが悪いのだという。定期的に高圧洗浄をして、詰まらないようにトイレットペーパー以外のものを流さないように気をつけるしかないとのことだった。

 

そういえば、トイレにはティッシュの箱が置いてあった。トイレットペーパーが買えなかった時にティッシュでしのいだらしい。それが詰まりの原因かもしれなかった。とにかくティッシュの箱はトイレから撤収して、大量のトイレットペーパーを買い置きした。

 

私でも弟のアドバイスがなかったら、最初の業者に言われるまま80万円しなくてもいい工事のために支払っていたかもしれない。ハハ一人では対処できなかっただろう。業者とのやりとりに時間を取られたのには閉口したが私がいる間に起こるべくして起こったことなのだろうと自分を納得させた。トイレがいつでも使えることの有り難さも痛感したし。

 

ムスメの一時帰国 7日目 薬について

近所の内科医に処方してもらって認知症の進行を遅らせる薬を飲んでいた。当然、ハハは飲みたがらない。チチが飲んでいても効果がなかったからだ。それに自分で管理することもできない。

 

一ヶ月ごとにデイホームから病院へ寄ってもらい、その足で薬局へ行き、薬剤師さんがデイホームに1週間分ずつ届けてくれていた。

 

ものすごい手間である。しかも過去2週間はハハの持ち合わせがなく、薬局にお金を借りていた。

ムスメが薬局へ行き代金を支払いお礼を言ってきた。

 

女性の薬剤師さんは、これ以上服薬しなくてもいいのではないかと提案してきた。本人や家族ががどうしても飲みたいというのなら話しは別だが、服薬管理が本人にできないこと、薬の効果が出ていないのに(認知症の進行は加速していくばかりだ)無理に飲み続けることもない、との見解だった。しかも、処方する内科医はハハと会わずに薬だけ処方し続けているのだとこと。本人と家族が薬を続けたいというのであれば、処方の変更も提案することも検討してくれているとまで言ってくれた。

 

ハハはこの地域で守られていると感じた瞬間だった。手間を惜しまずに病院と薬局へ送迎してくれるデイホーム、生身のハハをみてアドバイスをくれる薬剤師、さりげなく気にかけてくれているご近所のおばちゃん達、有難いことだ。

 

結局、ムスメとムスコで服薬中止を決めた。

薬を飲んでも認知症の進行が遅くなっているとは思えないし、不安や被害妄想もひどいからだ。ケアマネもデイホームも決断を受け入れてくれた。

ムスメの一時帰国 6日目 ハハとフレンチトースト

ハハの冷蔵庫はついに綺麗になった。料理をしなくなったからだ。

デイホームで昼食を食べ、夕食のお弁当をもらって帰宅後それを食べる、という習慣が確立していた。

 

帰国中はムスメが朝食の準備をした。冷蔵庫には調味料以外何もなかったが、冷凍庫にはパンが沢山あったので、前夜から解凍したものをフレンチトーストにして食べることにした。卵液にパンをつけておいたら、ハハがそれを焼くと言うではないか。

 

バターで焼いてと頼んでバターを渡した。

 

さすがは50年の主婦歴である。焼き上がりは完璧だった。

 

冷凍してあるパンを解凍してフレンチトーストにするというアイディアは思いつかなくても、目の前に焼くべくフレンチトーストがあれば焼けるのだ。

 

老人ホームの体験入居がつまらなかったと言うハハだが、それこそ三食昼寝入浴つきである。もちろん、老人ホームでは各種様々な活動があり、ハハをいつでも部屋から引っ張り出してくれたに違いないのだが、フレンチトーストを作り、焼きたてを誰かと食べる、と言うささやかな体験が得られないのだろうと推察できた。本来ならばグループホームのように利用者ができることはなるべく自分でするような施設の方が、今のハハには良いのかもしれない。が、要介護2で入所できるところはほとんどないだろうし、年齢的にも周囲の利用者と馴染めないだろう。

 

認知症のレベルとしては今が最も難しいかもしれない。本人も周囲の家族も。

出来なくなった事とまだ出来ることのギャップが大きすぎるのだ。