minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメ一時帰国 2日前

ハハに電話したら、もう全然だめだった。

 

ムスコがお金を管理するようになってからは、ハハのプライドが生活費をムスコに「お願いして持ってきてもらう」のを許さないのだ。

 

「私のお金なのに、私が管理できるのに、勝手に私の全財産を持ち去ったムスコが許せない」

 

日曜日はデイホームがない、お金が一銭も手元にないから朝から何も食べてないし、ずっと寝てる(電話したのは午後2時頃だった)、とまあ不機嫌極まりない。

 

デイホームのお弁当の残りはないのとムスメが聞けば、デイホームのスタッフが冷蔵庫を開けられて、古いお弁当は食べてはいけませんと言われ、冷蔵庫を空にされたと、これまた怒り心頭…

 

ムスコはおそらく定期的に生活費を渡しているはずだから、ハハの「お金が一銭もない」発言を鵜呑みにすることはできない。ハハが使ったのか、仕舞った場所を忘れてしまったのか、盗まれているのか。

もしくは、ムスコに対する不満が「お金一銭もない」発言を産んでいるのか。

 

介護は電話ではできないものだ。

 

 

 

ハハとムスコの関係

ムスメの一時帰国中に老人ホームの見学を予約している。ムスコの仕事の休みの日は週日である。当然、ハハはデイホームを休まなくてはならない。しかも老人ホーム入居は断固拒否のハハをデイホームを休ませて連れ出すのは容易ではない。

 

これをどうやってハハに伝えたものかと、ムスメは遠い空の下で鬱々と考えていた。スケジュール管理は全くできていないハハである。言われたことは、全て忘れていくハハである。そして、「そんなこと今初めて聞いた」とか「そんなこと聞いてない」とご機嫌ナナメになるハハである。

 

どうしたものかと一人で考えていてはラチがあかないので相談してみた。

ムスコ曰く、

老人ホーム見学の件は伝えない(言ってもどうせ忘れるから)、「そんなこと聞いてない」ときっと怒るけど、ハハが自分で見学行きたいと言ったと伝えれば納得する(経験済み)から、と言う。

 

心優しく、力持ちなムスコはめちゃくちゃ忙しい。週に6日朝から晩まで働き、よい父親であろうとしている(よい夫であろうとしていると信じたい)。

心優しいのだが、ハハにじっくりと付き合っている時間がないのだ。事前に伝えてもどうせ忘れるなら、わざわざハハの嫌がっている老人ホーム見学を伝える必要はないのだ。ハハ自身が行きたいと言ったという嘘を方便に使えば、親対子供の争いは避けられる。早朝から電話が日々50回もかかってくることを考えれば、至極真っ当な戦略だと言える。

 

が、ハハが被害妄想っぽいのは、ムスコに対して不信感が強いのは、こんな小さな出来事が積み重なった結果なのではないかと、ムスメはふと思う。

 

だからと言って、弟を責めているわけではない。

ムスメがハハに向かって、一人暮らしはもう無理だから老人ホームに入居すべきです、と正直に言ったところで、状況は変わらないばかりか悪化するばかりである。

 

ムスメ「言ったでしょ。メモした紙はどうしたの?」

ハハ「そんな事、今初めて聞いた。何でも私に相談しないで決めないでよ」

ムスメの一時帰国中は母娘でバトルになりそうな予感。

 

 

ムスメの一時帰国とハハの夕食

ムスメの一時帰国中はハハの夕食のお弁当がでない。ムスコがキャンセルしたからだ。

キャンセルした後に連絡してきたのには腹が立ったものの、デイホームに週6日通うハハと顔を合わせるのは朝食と夕食時しかないのだ。

 

しかし、一年ぶりの日本で10日間短期帰国である。ムスメにだって、やりたいことはあるし、色々用事はある。毎日夕飯をハハと食べるとなれば夜の外出はできないことになる。あちゃー、仕事持ちと会えるのは深夜か週末しかないではないか。日曜日はデイホームのない日なのでなるべく家にいたいし、老人ホームの見学も行きたいしとか考えていると、自由な時間というのはそんなに多くない。

ああ、温泉とか、古本屋巡りとか、楽譜屋巡りとか、友人との語らいとか、夢の夢になってしまう。

 

日本を離れたことでハハに寂しい思いをさせている、弟が一人で両親を介護することになってしまったことに罪悪感がある。罪悪感を感じないですむように、10日間毎日ハハに付き合えるのか?

 

ムスコの企み

企みというと聞こえが悪いが、ムスコには考えがあった。

 

①ハハを老人ホームに入居させる

②ハハを自宅の近くに呼び寄せる

 

というものだ。

因みにハハはどちらも断固拒否だそうだ。以前はムスコ夫婦の近くに住みたいとかムスコ夫婦の家に同居したいと言っていたのだが。

 

②の呼び寄せ案にムスメは断固反対した。自宅もデイホームも新しくなるからだ。自宅とデイホームはハハにとって生活の大きな基盤だ。その変化にハハが順応できると思えない。しかも、ムスコは週6日働いている。その上夫婦共働きで、孫は部活動で忙しい。ムスコ夫婦の家のそばに住んでも毎日誰かと会える訳ではないのだ。住みなれた自宅も離れ、気に入っているデイホームも変わり、ハハには何のメリットもない。

 

しかし、ムスコは早朝からのメール攻撃や唯一の休日を実家通いに使うよりは近くに住んでもらった方が楽になるだと言うのだ。

 

それだったら老人ホームに入居した方が良いのではないか。ハハは嫌がっている。が、今なら入居しても新しい暮らしに順応できるのではないか。いつでも誰かがいる。食事のことは心配しなくてもよくて、何らかのアクティビティがある。電子ピアノを持っていけば部屋でピアノも弾けるだろう、などとムスメは考えている。

 

ここで混在してならないのは、ムスメの罪悪感だ。娘として姉として日本を離れる決心をした身として、期待されている役割を果たしていないという罪悪感が絶えずつきまとう。ムスメの罪悪感と当事者であるハハと主たる介護者であるムスコにとって最善な方法は全く別物なのだ。それを認識した上で決断しなければならない。

 

だからと言ってムスメの罪悪感が払拭される訳でもないのだが。

 

 

 

 

ムスメの一時帰国

日程が決まり、ハハにメールした。

嬉しそうな楽しみにしているという返信が2回あった。

 

久しく話していなかったので午前中に電話してみたらまだ寝ていた。日曜日は一人で過ごさなければならない。起きても一人でつまらないのでベッドでテレビを見ているのだと言う。じゃあ後でかけ直すよと言ったら、かけ直さなくていいわよと電話を切られた。

 

仕方がないので、数時間後に電話してみた。まだベッドから出ていなかった。

帰国の日程を聞かれたので、20日に到着だと伝えると、木曜日ね?と言う。いやいや、火曜日だからねと言ったがどうやらカレンダーがまだ1月のままだっからだ。ようやく2月のカレンダーを開けて日程を確認することができた。

 

これだと月初にカレンダーを変えたかどうか確認する必要がある。こういう小さいことができなくなってくると社会から孤立してしまう。近くに住んでいれば、簡単なことが遠くに住んでいるだけで無理難題になってしまう。

 

これからどうしていくのか。本当に難しい。

ムスメの一時帰国の日程調整中

去年の夏から関わっていたプロジェクトが先週ようやく終わった。まだまだ後片付けは残っているのだけれど、締め切りのない作業なので気が楽だ。ようやく一息つくことができると思ったところへ風邪をひいてしまった。

 

プロジェクトのことで頭が一杯だったし、家に電話しても携帯にかけても繋がらないハハとはしばらく話していない。

 

恒例の一時帰国の時期が近づいてきた。あちこちと日程調整中で、風邪をひいてボーッとしていたい頭と格闘中だ。

 

自分の老後は?② まずは物を減らす

ハハの物は多すぎる。

元々買い物好きだったし、認知症になってからは通信販売で色々な物を買うことが増えた。値打ちものはない。売れても二束三文にしかならないものばかりだ。

洋服ダンスの引き出しを開ければ、黒のタートルネックのセーターだけでも何枚も出てくる。文房具とラベルの貼ってある引き出しを一度開けたら閉まらないほど、ペン、鉛筆、消しゴム、定規、クリップ、メモ用紙等々で溢れている。もう溺れそうだ。台所もナイフ、フォーク、スプーン、箸が一つの引き出しに混然と詰まっている。書類は何がどこにあるのか皆目見当がつかない。これだけ物が詰め込まれていれば、必要な時に必要な物が出てこないのは当然だ。そうすれば、いつでも何かを探さなければならない。これは認知症でなくてもストレスになる。

 

いつか着るだろうと思ってタンスの肥やしになっている洋服とか、使っていない頂き物とか、どこかのタイミングで思い切って処分しなくてはと思っている。

 

長くアメリカで暮らし、日本でビジネスを成功させた日本人女性のお宅に夕食に招待されたことがある。広尾の駅前一等地の広い外国人仕様のマンションだった。食事が出されて驚いたのは、お皿が紙皿だったことだ。広尾の駅前に住めるのだから、ゲスト用のディナーセットが買えないわけではないだろうにと私は心の中で思っていた。そんな私の沈黙を察してか、必要な物以外は持たない主義なのだとその女性は言った。年に数回来客をもてなすだけの為に食器棚を使わない物に占領されるが嫌なのだという。

何と合理的!と感心したが、私にはきっとできないだろうと思った。

 

でも、今ならできるかもしれない。今のハハから学ぶことができれば、私にもできるはずだ。探し物をしない、身軽な暮らしが。早い時期に始められれば、という条件付きだが。