minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

老人ホーム強制入居案 再燃

ハハを老人ホームに入居させようかという案が再浮上している。

 

ムスコとハハが見学に行った施設が自由度が高くて良かったそうなのだ。

もちろん、ハハは断固拒否。月々使用料を払うのは馬鹿馬鹿しい、自分の人生は自分で決めたいとムスコに啖呵を切ったそうだ。

 

ムスコとしては日曜日もどこかデイホームへ行くようにして、一人で過ごす時間を減らすようにして、このまま凌ぐか、体験入居といいつつ入居させてしまうか迷っている。

 

ムスメとしても一人暮らしは不可能ではない、が色々と難しいことは多々ある。今老人ホームに入居すれば、新しい環境に慣れる時間もあるし友達もきっとできるだろう。茶道教室だってできるかもしれない、と願う。だが、今がそのベストなタイミングなのかと問われれば、自信を持って答えることはできない。

 

ちなみに、自分の人生は自分で決めたいと言ったハハにムスコは言ったそうだ。

「だったら、死にたい死にたいって言うのは止めてくれ」

日曜日2000円作戦

ハハは金銭管理が全くできなくて、お金がないことに対する不安感が強い。一人で過ごさななければならない日曜日を何とか凌いでもらおうとデイホームと相談して土曜日の帰り際に2,000円を渡してもらうように、現金を託してきた。

 

ムスコがお金を一銭もくれないから、日曜日は朝から食べるものがないし、つまらないし朝からずっと寝てると言っていた。これで何か近所に食べるものを買いに行くことくらいはできるだろう。

ハハにしてみたら少ない額だろうが、これ以上渡して失くされるのもツライし、とりあえず試してみた。

 

これがうまくいけば、月曜日から土曜日までをデイホームで過ごし、日曜日は一人でのんびりと好きなものを食べる生活ができれば、ハハが行きたがらない老人ホームに入居せずに自宅で生活できるのだ。

 

ムスメは淡い一抹の希望を胸に日曜日に電話した。

 

第一声はいつも通り、ムスコがお金を一銭もくれないと言うので、デイホームから2,000円もらわなかったかと聞いてみた。一瞬何を言われているのか分からないかったハハだが、そう言えば何かもらったような気もするが、言われていることがよく分からなかったと言った。

 

結果は撃沈である。

 

何度か繰り返して習慣化させれば記憶に定着するのだろうか。ハハの不安感は軽減されるのだろうか。

まだまだ試用期間中である。ムスメが日曜日に電話して確認することにしよう。

 

 

ムスメの一時帰国 番外編2

ハハは空港へ見送りに来たいと言ったのだが、心を鬼にしてムスメは断った。

 

空港から家まで一人で帰れるかどうか不安だったこと、午後一人で過ごさなければならないこと、そして特大スーツケース2つとバックパックを背負いハハと一緒に乗り換えできるか心配だったこともある。ラッシュアワーは過ぎているので、リムジンバスではなく電車で空港に向かう予定にしていたからだ。

 

都営地下鉄浅草線に乗り換えようと三田駅を歩いていたら、なんと浅草線が事故で止まっていた。アルミ風船が高架に絡まり、撤去作業中で運転再開の見通しは立っていないとのこと。羽田空港へ向かうには、浅草線の乗り入れで遅れているかもしれない京急を避けて、浜松町からモノレールに乗ればいいと駅員さんが教えてくれた。

 

が、スーツケース2つ歩いて三田駅から田町の駅まで歩くのが大変だったこと。エスカレーターのない階段ばっかりじゃん!汗だくになりながらスーツケースを1つずつ階段で運んでいると、手を貸してくれる男性が現れた。田町駅までスーツケースを1つ運んでくれた。どこぞのお方がわかりませんが、あの時は本当に助かりました。ありがとうございます。お陰様で空港には無事に着くことができました。

 

ハハが一緒だったら、三田駅から田町駅の長い乗り換えは無理だったと思う。歩くのはムスメの5倍時間がかかる。スーツケースがなかったとしても、地上は浅草線に乗れなかった人で溢れていてタクシーも拾えなかったし。空港でゆっくりできなかっただろうし。冷たいムスメで申し訳ないが、今回はそれで正解だった。

ムスメの一時帰国 11日目 空港で

空港まで見送りに来たいハハだったが、デイホームに行った方がいいとムスメが説得した。午後を一人で家で過ごすくらいなら、デイホームで人と一緒の方がいい。

 

ハハを送り出してから、ご近所に挨拶に行った。お節介で世話好きの元気なおばちゃんたちである。若い頃は鬱陶しいと思ったが、今となっては有難い。

 

空港のゲートに着いてからは色々な人に電話をかけた。

デイホーム、薬剤師、ハハの妹(ムスメの叔母)、ハハの友人たち。ハハの妹は「何かあったら駆けつけてあげるから、心配しないでアメリカに帰りなさい」とハハの友人の一人は「年をとれば皆んな一緒だから」と言ってくれた。

 

介護は一人ではできないのである。たとえ、ムスメが日本にいたとしても一人では無理である。こうなったら色々な人に甘えて、頼って、感謝することしかできないのだ。今回はありがたく甘えさせていただこう。

 

 

 

ムスメの一時帰国 10日目 最終日 ハハと洋服ダンス

ムスメの一時帰国の最終日である。明日の昼には空港へ向かう。

 

昼間は区役所へ行き、チチが特別養護老人ホームに入居できないかどうかの相談に行っていた。諸々の用事を済ませて、帰宅してからハハの洋服ダンスの整理をすることにした。

 

デイホームの人にも言われていたし、ハハ自身も気にしていたが、着るものがなくて毎日同じものを着ているのだと言う。いやいや、毎日それなりに違ったものを着ているように見受けられたが、洋服ダンスを開けてみて合点がいった。

洋服が多すぎるのだ。多すぎて選べないのだ。

 

もともと買い物好きのハハであった。ハハが新しい洋服を買うたびに、ムスメは「もう一枚たりとも買ってはダメ」と言っていた。

 

認知症になったハハをみて学んだのは、「目の前にないものは存在しない」ということだ。冷蔵庫の中のジャムも果物も、冷凍庫の中のパンも、棚の奥に押し込んだ通販で買ったサプリや美容液も、毎日顔を見せに来ないムスコ夫婦も、今ここにないものは、この世に存在しないのである。

 

まずは引き出しを開けたら何が入っているのかを見える化しなければならない。

とりあえずは、タンスの中に入っているものを全て出した。そして、夏物、冬物、下着、パンツ、小物類に分別してハハの帰りを待った。

 

ハハはデイホームから帰って来て、山と積まれた服をみて驚いたが、喜んで整理に参加してくれたので助かった。一枚一枚、必要なものと捨てるものとムスメが貰うものに分けて、収納した。

あまりの洋服の多さに「もう一枚たりとも買ってはいけないね」と言っていたので、少しの間でも洋服ダンスが整っていてくれたらいいと思った。

50リットルのゴミ袋に一杯の不用品がでた。ムスメも着られそうなものは少しもらって帰ることにした。ハハとはサイズが全く合わないのだが、アメリカでは古着が寄付しやすいのだ。着られないものは寄付すればいい。

 

本当はクローゼットも衣装ケースの中身も整理したかったのだが、今回は時間切れとなってしまった。ムスメしては物を減らして生きることの大切さを再認識した。

ムスメの一時帰国 9日目 ハハと金の延棒

ハハとデイホームでは交換日記をしている。ハハも言われた通りに毎日書いている。

ハハが見せてくれたので読んでみた。予想通りお金の不安と寂しさが大半だったが、ある日曜日に金の延棒を売りに来たセールスマンが来たことが書いてあった。

 

感じのいい若いセールスマンだったので、家に上がってもらって話しを聞いたと言うのだ!

 

いやいや、いくら感じのいい人でも、見知らぬ人を家にあげてはダメである。一度でも認知症の高齢者が一人暮らしをしていると知れたら、その後誰が何を売りに来るか、はたまた修理を持ちかけて来るか、想像するだけで恐ろしい。

 

デイホームの返信でも知らない人を家に上げてはいけません。玄関で追い払いましょう、としっかりと赤字で書いてくれていた。

 

セールスマンが来たことをハハは覚えていて、延棒は一本360万円だったわよ、と言った。ハハにお金を持たせていなくてよかったと思えるのは、こんな時である。ムスメだってすんでのところで80万円払っちゃったかもしれないのだ。

一人暮らしの高齢者ほど美味しいカモはいない。

 

現在、ハハの家計は全てムスコが管理している。預金通帳もキャッシュカードも印鑑もクレジットカードもムスコが持っている。ハハにお金を渡せば、渡しただけ消えていく。銀行口座もあるだけ現金を引き出してマイナスになったことは一度ならず。しかも、その現金がどこへ消えたか全く謎なのだ。使った形跡ないのに現金の形成もない。

ムスメも家中探した。ベッドの下も見たし、ついには畳も上げた。食器棚も床下収納も全部見た。だが、現金はおろか財布も無い。

 

時またニュースで、古い家を取り壊したら現金が沢山出て来たと言うニュースで見るが、認知症で誰かに盗られるのではないかと被害妄想に陥り床下に埋めたりしたんだろうかと思ったりした。

 

ムスメの一時帰国 8日目 ハハと妹

ハハと妹(ムスメの叔母)は仲が良い方だと思う。

お互いに遠慮なくなんでも言い合うので、口喧嘩になることも多々あるようだが、すぐに仲直りができているらしい。

 

価値観は違うものの熱心な仏教徒であるハハの妹は、ハハが毎日繰り返す愚痴を辛抱強く聞いてくれる貴重な存在である。

 

が、その日は様子が違った。どうやら電話の向こうで泣いているらしい。夫がもうすぐ帰ってくるのに夕食の支度ができない、疲れて体が動かない、近くに買い物に行ける場所がない、どうしたらいいのか分からないとハハに泣きついているのだ。

 

従姉妹たちによると、ハハの妹は人と一緒の時はなんでもないけど、昼間一人で家にいるときは鬱がひどくて、抗うつ剤を飲んでいるのだそうだ。

 

その電話に対応しているハハは驚くほどシャンとしていた。普段は不平不満が一杯で、できないことばかりでダメダメなのだが、一旦頼られるとしっかりするものなのだ。酔っぱらいを介抱する側は酔いが覚めるとはよく言われることだが、まさにそうだった。

フレンチトーストも焼いてもらえばいいのだ。