minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハの認知症が進行しているのか? 電話編

デイホームに行っていない発言は一度だけだった。

 

デイホームに行きたくないと言う日はあっても、デイホームに行くお金がないから休むという日はあっても、デイホームに行っていないと言う日はまだない。

 

最近は、電話の子機が見つからなくて、ムスコが盗んで行ったと怒っていた。

親機の受話器もコードレス子機になるタイプの電話を使っているのだが、それが裏目に出た。子機が二つとも見つからないのだと言う。

電話がかかってくれば親機が鳴るのだが、子機が見つからないので電話がかかってくる度にムスコに対する怒りで気が狂いそうだとも言っていた。

 

技術の進歩(この場合はコードレスで家中どこへいても電話で話ができること)は必ずしも認知症のハハを幸せにはしない。皮肉なものである。

 

紛失したことを(この場合は子機二つ)ムスコのせいにするのは認知症の典型的な症状だろう。親機とつながっていない子機と親に泥棒と非難される子、どちらも接続も断絶されている。皮肉を超越している。

ハハの認知症が進行しているか?

ハハが脱水症状ではないかと心配していたが、昨日はちょっと様子がいつもと違っていた。

デイホームに毎日行っていることを忘れていたのだ。

 

ずっと家に一人でいて、テレビを見ているような気がすると言うのだ。

呂律はきちんとしているので、脱水症状で意識障害というレベルでもなさそうだが。

週に6日デイホームに通うようになってもう2年になるだろうか、夕飯を食べたことを忘れたことはあっても、デイホームに行ったことを忘れたことはなかった。

 

うーん、これは認知症が進行しているのだろうか?

 

でも、以前老人ホームに入居していた時、毎日部屋でテレビを見ることしかしていないから退屈でたまらないと言っていた。

老人ホームによれば、参加できるアクティビティには全て参加していたとのことだったが、結局これだったのではないだろうか。

参加したこと自体を忘れてしまえば、残るのはテレビを見ていて退屈だったということだけなのだろう。

 

それでなくても、ムスコがお金を盗みに来るという妄想から逃れられないのに、ムスコが自分の年金を使い果たしてしまうのではないかと不安でたまらないのに、ハハに平安が訪れることはあるのだろうか。

 

 

ハハ、脱水症状か?

ハハはしばらく安定していた。

この場合の安定していたというのは、ハハの不安や不満が解消されたという意味ではなくて、ハハの不安や不満に変化がなかったという意味である。

 

が、ここ数日は様子が少し違うかもしれない。

昨日は、寝起きの声で頭がフラフラして起きられない、と言う。

夕飯はちゃんと食べたのかと聞くと、そんなこと覚えてない、と言う。エアコンは相変わらず使っていないので、ともかく起きて水を飲み、冷蔵庫の中に入っている何かを食べるように言った。

デイホームに出掛ける時間に再度電話してみたが、電話に出なかったので、デイホームには行桁らしい。

 

今朝は、元気な声だったが、自宅にいるのか実家(10年以上前に取り壊されている)いるのか混乱していた。落ち着いて周囲を見渡せば、実家にいるということはまだ理解できるが、何度もここは自宅なのか実家なのかと確認していた。

 

デイホームからの夕食を食べずにそのままエアコンをつけずに寝てしまえば、脱水症状が起こってもおかしくないだろう。夏は食品の管理も困難だが、温度管理が冬以上に難しい。

この記事を目にしたばかりだった。

 

ハハのこの混乱が、軽い脱水症状なのか認知症の進行なのかは分からないけれど、なんとなく心配が続く。

ハハとエアコン

日曜日に電話をしたら、暑いと言っていた。室内の温度計が34度になっていると。

 

エアコンつければいいのに、と言ったのだが、リモコンが見つからないのだという。テレビのリモコンとごっちゃになってしまっているようだった。

それでも、運転と書いてるのがエアコン、BSと書いてあるのがテレビのリモコンだと理解できていたのでよしとしよう。

 

とりあえず食堂のエアコンのリモコンは見つかった。狭い家だ。食堂のエアコンをつけいれば、寝室も寒すぎることなく熱中症は防げるだろう。

エアコンなしで育った世代のハハはエアコンを使うことに抵抗がある。電気代がかさむのではないかと不安にもなる。

最近のエアコンはそんなに電気代かからないらしいよ、熱中症になった方が大変だからと説得を試みたが、果てして聞いてくれるかどうかは分からない。

 

寒い季節も大変だが、暑い季節も熱中症やら食中毒やら心配事は尽きない。

 

チチの一周忌

昨日はチチの一周忌だった。

 

ハハはデイホームではなくて、お寺に喪服を着ていく日だということは覚えていた(優秀!)が、ムスコが何時に迎えに来るのかを忘れてしまったので混乱していて不機嫌だった。

 

何も聞かされてない→ムスコが不親切→私は嫌われている→だから死んだほうがマシ

 

というループにハマってしまい、抜け出すのに苦労した。ムスコがこんな不機嫌なハハを車に乗せて運転しなければならないのだと思うと、とても申し訳なくムスメは思った。

 

ちなみにハハは何故お寺に行くのかは分かっていなかった。一周忌だと言っても、チチが亡くなったのが一年前だと信じられないようだった。ハハの中ではもう三年経ったらしい。それだけこの一年が長かったということなのだろう。

翌日に電話したが、一周忌に出かけたことは忘れていた。どこかに喪服を着て出掛けたことは覚えていたが、それが一周忌だったこと、誰が参加したのかなどは全く覚えていなかった。

ハハの本音

ハハの様子は相変わらずである。

ムスコへの不信感、不満、不安しか話さない。

 

変化がないことは現状維持ということでもあるので、有難いことではある。庭仕事をした後だったりすると、機嫌の良い日もある。逆に雨が降っていれば、デイホームに行く気もしない程落ち込んでいる日もある。

 

だが、今朝は不安モードではなくて怒りモードのスイッチが入ってしまい、ムスコに対する怒りをムスメにぶちまけることとなった。

 

1人で寂しいのをこれだけ我慢しているのに、預金通帳もカードも取りあげるなんて、親にこんなことができるなんて許せない、延々と話し続けた。

 

そうか、ハハは寂しいのか、これが本音なのだとムスメは初めて分かった。

ムスメは1人でいるのが苦にならないのだ。だから理解できなかったのだが。申し訳ないことをした。だからと言って、ムスメにできることは電話するくらいしかないのだが。

ハハからのメール

ハハからメールが来るようになった。

 

内容はいつでも同じだ。

「もう充分に生きたという思いから逃れらないのです」と書いてある。

 

もう充分に生きたから死にたい。

ムスコに全財産を取り上げられて、パンを買うお金すらもらえない。

デイホームはつまらない。

ヨメにも孫もあれだけ可愛がってよくしてやったのに、電話の一本もよこさない。

 

義理の両親にも尽くした。

自分の両親にもできる限りのことはした。

夫の介護もした。

にもかかわらず、自分が介護される時には誰も頼りにならない。

 

独身のムスメには頼れると期待していたのに、アメリカにまで行って役に立たない。

 

というハハの思いがこの一行に込められている気がする。

ムスメは何と返信していいかさえも分からない。