minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメの一時帰国4日目、ハハの帰宅4日目

今日は日曜日。ハハのデイホームはお休みである。

 

ムスメにとっては恐怖の一日だ。1日中、ハハと顔を付き合わせなければならない。

 

ハハは私の顔を見ると、お金の話しといかにムスコとヨメが冷たいかという話ししかしない。ムスコが生活費をくれない、ムスコとヨメが会ってくれない、電話すらしてくれない、ムスコが預金通帳を留守中に来て盗んで行った。だからムスコは泥棒で生活費をくれないから敵だし、人殺しだと思っている。だから私が死んでも電話しない(←まあ死んだら連絡できないんだけどね)。

 

以上全てフェイクニュースである。デイホームに行く前と後の数時間にこの同じ話を繰り返し聞かされると、ムスメだって腹が立つ。反論しようものなら、ハハが逆ギレする。話を半分に聞いていれば、人の話を聞いていないとまた怒る、黙って聞いていれば、黙ってればいいと思ってるのは卑怯だと非難される。挙げ句の果てにはもうアメリカに帰れと言われる。

 

道理は通らないし、事実はハハの妄想に取って代わり、論理は破綻している。

覚えておいて欲しいことは定着しないし、忘れて欲しいことだけ定着しそれが妄想を産む。まるで小さな雪玉が坂を転げ落ちるうちに大きな雪崩になっていくようだ。

 

なので、墓参りに連れ出すことにした。たまには電車に乗せるのもよいだろう。急ぐ旅でもなし、ゆっくりと歩いて出かけることにした。

電車に乗っている間中もずっとお金の不安とムスコとヨメの悪口しか言わなかっただ、流石に電車の中では声を荒げることはしなかった。

おそらく、墓参りに行ったことは忘れ去られてしまうだろう。でも、それでいいのだ。目の前の景色を少し変えないと、ハハはハハの妄想の世界から抜け出せないのだ。

 

ムスメの一時帰国3日目、ハハの帰宅3日目

朝食を食べながらハハはもう老人ホームに帰らなくてもいいのかと聞くので、ずっと自宅にいてデイホームに行くんだとムスメは言った。

 

するとハハが、家にずっと帰ることになったとは聞いていないから、老人ホームのお友達に挨拶して来なかったし、荷物を全部持って来なかったと言い出した。

荷物は全部持ってきたし、お友達には会いたくなったらいつでも会いに行けるからと言ったが、ムスメの言うことはどうやら頭に残らないらしい。

 

その上、老人ホームはいい所だったと言う始末である。

あれだけ嫌で、帰りたいと言い続け、帰れないのなら死んでやる、と三ヶ月間訴え続けたのに、今更どの口がそんなこと言うのだと、ムスメは言いたかった。どれだけムスコが苦労して自宅に連れて帰る準備をしたのか全くわかっていないし、ムスコの悪口しか言わないハハである。

ハハの話は9割引きで聞かないと身がもたないな、とムスメは思った。

 

ここでもムスメはハハの味方になれないのであった。

ムスメの一時帰国2日目、ハハの帰宅2日目

今日からデイホーム再開である。

朝はどのデイホームに行くのか混乱していた。どうやらハハの脳内では老人ホームとチチが昔入所していた老人ホームとハハが行っていたデイホームとゴッチャになっているらしい。

 

どこへ行くのか、迎えが来るのか、誰が迎えに来るのか、何時に迎えが来るのか、何を持っていくのか、何度聞いても何度話しても忘れてしまう。

 

ハハがデイホームに行った頃、ムスメは施設長さんと話しができた。

スタッフの方々や利用者の方がと再会して涙を流して喜んでいたということだった。

一日の大半を過ごすデイホームには再適応できたらしい。これにはムスメもムスコも安心した。

ムスメの一時帰国1日目、ハハの帰宅1日目 

ムスメは夕方羽田に到着した。

ムスコはハハを老人ホームに迎えに行き、自宅に連れて帰った。

 

ムスメが自宅に着くと、ハハは庭で草むしりをしていた。ムスメが声をかけても黙々と草むしりをしている。

やっと家にあがったハハは怒っていた。

ムスコが孫2人を連れて来なかったからだと言う。

 

怒りがおさまった後は、不安との戦いだった。

だが、老人ホームを退所してこれから自宅でずっと暮らす、ことが定着しないのだ。今日はこれから帰るのか、明日はどこへ行くのか、どのデイホームに行くのか、お迎えのバスは何時に来るのか、何を持っていけばいいのか、誰に会うのか、1人で暮らしていけるのかと不安が次々に浮かんでくる。その強い不安感に孫が来なかった怒りが加わり、ハハはとても不安感だった。

 

半年ぶりに会ったんだから、あれだけ家に帰りたいと言っていたのだからもうちょっと嬉しそうにしてくれてもいいのにとムスメは思ったけれど。

 

 

 

ハハの携帯、あわや没収の危機

ハハはムスコに電話もメールもしていないとムスメに言う。

あの子は忙しいから迷惑にならないようにしようと思って、と殊勝なことを言っているが、現実は真逆だった。

 

ムスコの携帯には5分おきに着信履歴があり、ムスコを人殺しと詰るメールが10分おきに送信されていた。

 

ムスコは携帯を没収すると怒りが抑えきれないようだった。

まあ、気持ちはわかる。元々ワガママなハハである。認知症がワガママに拍車をかけた。それは認める。

 

が、帰宅させるのは渋々同意したムスメも、これだけは譲れない。携帯がなければ、全ての連絡先をハハから奪うことになる。携帯電話を失くさないで操作できるうちは、ハハの交友関係を断ち切るようなことはしたくない。それでなくても、ハハの交友関係はどんどん狭まっていくのだ。ハハの友人だって歳をとっていくし、ハハの言動についていけない友人達は離れて行ったのだ。

 

元々社交的で人と繋がっていたいハハである。携帯電話なしで暮らす事はできないだろう。自宅に戻るとなればなおさらだ。

ナウシカの腐海が親の家に出現する日

business.nikkei.com

という記事が日経ビジネスオンラインにあり、どこの家も同じなんだとわかって安心した。夏に虫がわいた台所は今どうなっているのだろう。

 

ハハの帰宅決定

トイレは直っていないし、直る予定もないのだが、ハハの帰宅は決定した。

帰宅日は3月6日、ムスメの一時帰国日になった。

 

以前と同じように、月曜日から土曜日までデイホームに行く。

日曜日はヘルパーに来てもらう。

夕食は近所の顔見知りのお蕎麦屋さんから毎日配達してもらう。お蕎麦屋さんの定休日はデイホームからお弁当をもらって帰る。

 

という手配をムスコが設えた。

 

食事に関しては、宅配のお弁当とも考えた。毎日手渡し、常温で届けてくれる業者もあったが、近所の顔見知りの人に届けてもらった方がいいだろうということになった。

これは新しい試みなので、ハハが店屋物を毎晩食べるかどうかはまた別の話しだ。老人ホームは退屈だと言っていたハハだが、一日3食食事が出てくるような贅沢な生活をしたくないとも言っていた。手抜きの象徴でもある店屋物を罪悪感なく食べてくれるか、これはもう祈るしかない。

 

以前はデイホームから夕食をお弁当にしてもらっていたのだが、それを電子レンジに入れたままにして放置していることが多々あったという。冬場はともかく、夏場は危険すぎる。少なくとも暖かい作りたてのものが届くのは子供としても嬉しい。

 

ムスメの一時帰国はハハが元の生活に戻れるように手を尽くすことになりそうだ。