ハハと生きがい
今日は金曜日。予想通り、ハハの上機嫌は続かなかった。金曜日から週末はデイホームがないので、一人で過ごさなければならない。何をしてもつまらない、生きがいがない、ムスコ夫婦がなっとらん、もう死にたいと、いつものパターンに戻っていた。
だが、親を捨ててアメリカに行ってしまったムスメも、近所に住んでいながら全くアテにならないムスコ夫婦には頼れないことは分かっているようだ。生きがいは自分で見つけて、この寂しを乗り越えなければならないと言っていた。
それは立派な心がけだけれど、現実は厳しい。
ピアノ教室に申し込みしたとしても、スケジュール管理ができるかどうか非常に怪しい。茶道教室に申し込みしたとしても、点前は覚えられないだろう。猫を飼うことも考えたが、ハハにとっては負担が大きすぎるだろう。料理教室にも行っていたが、ただの暇つぶしにしかならなかったとハハは言っていた。
何がハハを満足させられるのか。
これは難しい課題である。
ハハの孤独感
ニューズウィークに興味深い記事があった。
周囲に人がいようと本人が孤独を感じているかどうかで認知症になる確率が上がるという調査結果が紹介されている。
週3日のデイホームと週1日のヘルパー訪問、電話をすれば友人が訪ねて来ていることも多く、社会的孤立はしていないハハであるが、孤独感は何をしても埋められないようだ。
何でも勝手に決めて相談なしに物事を進めてしまうムスコ、電話一本かけてこない義理の娘、どんどん成長していく孫、外国にいるムスメ、離れて行ってしまった恩知らずの友人たちへの不満と怒りは日々増大していくようだ。
30年学び続けた茶道も70年間弾き続けたピアノも生きがいにも暇つぶしにもならなかった。あんなに仲が良く、麻雀だの旅行だのと一緒に過ごした友人たちは離れて行ってしまった。
認知症とは何と残酷な病なのだろう。
チチの退院
チチが退院した。今度の肺炎が最後かもしれないと医師から言われていたこともあって心配していたのだが、無事に退院できた。チチの体力と病院の方々には感謝している。
ハハはチチが退院したことを知らなかった。ムスコが伝えていなかったか、ハハが覚えていないか、ともかくチチが退院したことをムスメから聞かされて、不機嫌になった。ムスコが何でも勝手に相談もせずに事を進めて行くことが不満で、不信感ばかりが溜まっていく。
近所のカルチャーセンターにも行ってみたようだが、何を受講したいのか分からなかったようだった。デイホームは週3日しか行かれないし、何とか目先を変えないと、ムスコに対する不満感と不信感で家族が崩壊しそうだ。
ハハの妄想
ハハは相変わらずだ。ムスコ夫婦への不満が満載だ。話題をこちらから変えなければ、延々と悪口が次から次へと溢れ出て来る。毒気に当てられたかのように聞いているだけで頭痛がしてくる。
まあ、悪口言えるだけ元気だと思うようにしているが。
しかし、今日の電話は少し違った。チチの様子を聞いてみると、
「パパは私が訪ねて行くと立ち上がって色々とペラペラと喋るのよ」と言った。
チチはもう何年も話していない。一人で立ち上がれたのはもう何年も前のことだ。
ハハの混乱した頭の中では、チチはアルツハイマー発症以前の元気な姿に戻っているのだ。入院していることも理解していないのかもしれない。
願望が妄想を作り出して、現実との乖離がますます進むのだろうか。
なぜムスメがハハの味方になれないのか?
前回の記事でお嫁さんが(ムスメの義理の妹)傷つかなければいいと書いた。
これは正直な気持ちだ。
だが、なぜムスメの私がハハの一番の理解者、味方になれないのだろうかと投稿した後で思いついたのだ。
だが、私がハハの味方になれば、当然お嫁さんを批判することになる。(非常に古風な)弟と結婚し子供を二人産み育て、弟の仕事のサポートもして、自分の仕事もして、家事もこなすというミッションインポッシブルを可能にしている義理の妹にこれ以上仕事を増やすようなことはできないのだ。
だが、私自身は渡米してしまった。渡米したことは全く後悔していないのだが、渡米しないという選択をしなかったという後ろめたさはある。
しかし、渡米しなかったら、その選択をハハのせいにして一生恨んだかもしれない。何もしないと言って義理の妹をハハと一緒に人非人呼ばわりしたかもしれない。
女性が女性を非難することほど厳しいものはない。
どうしてこうなってしまうのか。高齢のハハが一人暮らしで困っているというのに、助けようがない。それぞれが一生懸命に生きているのに、どこかで歯車がずれてしまったような居心地の悪さ、これはどこから来るのだろう。
ハハの変化
老人ホーム体験入居後の生活は基本的に変化がない。というより体験入居の記憶は遠い遠い淵へ沈もうとしている感じだ。
生活がつまらない、ムスコ夫婦が冷たい、他の人はしっかりしているのに私は頭がダメになっちゃった、どうしたらいいのか分からない、とストレスがハハの生活の大きな部分を占めている。
だが、昨日の電話では様子が違った。ムスコ夫婦が冷たい、「私は同居して義理の両親の面倒をみたのに」電話の一本もかかってこないと不満で一杯だった。ここまではいつも通りだったのだが、「私が(義理の両親と)同居してあげてよかったと思うの。何もできなかったけど、そばにいてあげられたのはよかった」と言うのだ。
これにはムスメは面喰らった。同居して介護した15年を返して欲しいとまで言っていたハハが、同居生活をよかったと言ったのだ。
ああ、もうこれでハハを止められるものが何もなくなった、とムスメは思った。
もう「息子に迷惑をかけたくない」という建前や遠慮はないのだ。混乱していく記憶の中で、同居しないムスコ夫婦がハハを満足させることはできない。仮に、同居したとしても、「私は専業主婦だったから、いつでもそばにいてあげた」と言われてしまえば、仕事を持つお嫁さんとしては返す言葉がない、つまり同居したとしてもハハを満足させることは無理なのだ。
ムスコ夫婦にしてみれば救いがない。何をしても同居して介護した事実に勝るものはない体。が、ハハが奪われたと思って来た15年間はこれで報われたのかもしれない。
だからと言って、ハハの独居生活がハハを幸せにしないことだけは確かだ。
もともと感情の起伏の激しいたちである。認知症によって感情の抑えが益々きかなくなってきた。お嫁さんが傷つかなければよいのだが、とムスメは切に願う。