minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメの一時帰国12日目、ハハの帰宅12日目

親戚の集まりに行った。

後期高齢者となった親の代とその子供達の代、つまりハハの兄弟とムスメのいとこ達の集まりだった。

 

ハハの兄と妹も認知症である。いとこ同士の話題は認知症の親の介護で持ちきりである。

ハハは久々に妹と会えて嬉しかったようだ。楽しく飲んで食べて話して夜はふけて行った。ハハの兄は残念ながら欠席だったが。こうやって集まれる時に集まっておきたいと、子供の代は感じていただろうと思う。

 

帰り道、ハハは集まりに出席したことを忘れていた。会がお開きになってムスメと2人になった途端に、ムスコへの不満をとうとうと述べ、

 

私が死んでもあの子には絶対に連絡しない、と言った。

 

死んだら電話できないよ、と言いたかったが、逆ギレされても面倒なので黙っておいた。それだけ自分のムスコが憎いのか。

 

弟が不憫でならないムスメであった。

 

ムスメの一時帰国11日目、ハハの帰宅11日目

ハハの1日は不安で始まる。

今日一日どうやって過ごしたらいいか分からないからだ。

 

ずっと通っていたデイホームのことは覚えているが、10日前からデイホームに戻ったことは忘れているからだ。

 

私は今日どうしたらいいの?

お迎えは何時に来るの?

夜ご飯はどうするの?

 

と一連の質問があり、その後で

 

私の預金通帳と印鑑はどこへ行ったの?というのがセットである。

 

だが、この日は

 

「パパはどうしたの?」と聞いた。

 

パパ=ハハの夫=ムスメの父である。

 

亡くなったと伝えると

いつ?どうやって?お葬式はしたの?お葬式には誰が来たの?

 

と質問ぜめにあった。ムスメが帰国してきてチチが亡くなってからの遺族年金の話は何度もしたのに、ここへ来てまだチチの死が完全に定着していないのだ。2011年からチチは老人ホームへ入所していたので、いなくなったという実感は薄いのだろう。

ムスメの一時帰国10日目、ハハの帰宅10日目

そろそろムスメも限界である。ハハはムスコにお金を盗られた、ムスコとヨメが優しくない、ムスコが生活費をくれない、という話ししかしない。

何をしていても、どこにいても、ムスメの顔を見れば、まず第一声は

「○○(ムスコ)が私の預金通帳と印鑑持って行ってない?」だ。

その後の話はいくつかのバージョンがあるが、ハハに無断で預金通帳と印鑑と持ち去ってそのお金を使い込んでいるのムスコが敵に仕上がってしまっている。

 

新しい洗濯機を買ってくれたのも、電子レンジの場所をテーブルの上に移動させたのもムスコである。

一昨日は生活費を持って来たのもムスコである。その生活費を受け取らなかったのはハハである。病院、銀行、役所、夕食に車で連れて行ってくれたのもムスコである。隣の家の工事に祭して業者とやり取りをしているのもムスコである。デイホームとケアマネとの対応も全てムスコがしているとムスメが伝えようとしても、聞く耳は持たないし、聞いてもすぐに忘れてしまう。

ムスメが「そうなんだ」「なんでだろうね」と言おうものなら、「話を聞いてない」と言って怒る。

ムスメがハハが銀行通帳やカードを何度も失くしたことや、現金を残高がマイナスになるまで引き出した事実を指摘すれば、「そんなことは一回もない。そうやってみんなで私を馬鹿にして」と逆ギレする。

 

ムスコへの不満や怒りを話せば話すほど、感情が高揚してしまう。

 

もうこれ以上話を聞いたら、ムスメが逆上しそうである。

思い切って距離を置くことにした。限られた一時帰国の間、なるべく多くの時間をハハと過ごそうとしてきた。会いたい友人にも会わず、行きたい所にも行かずに、ハハが自宅の生活に戻れるように心を砕いてきた。

しかし、それはムスメの都合である。感情が高ぶったハハをなだめるのに時間を使うより、距離を置いた方が気分が静まるのが早いのなら、距離を置いた方がムスメも自分のために時間が使えるし、ハハの気分も落ち着くし、一石二鳥である。

 

ムスメの一時帰国9日目、ハハの帰国9日目 太陽神戸銀行って?

 ハハの物盗られ妄想はますます酷くなるようだ。

 

銀行通帳とカードをムスコが盗んでいく時の様子をバラエティ番組のリポーターのようにムスメに報告する。

太陽神戸銀行のカードは一度失くして再発行してもらったのに、次の日にはもう失くなっている。ムスコが夜な夜な家に来て有り金全部と通帳とカードを盗んで行くのだという。

 

うーん。太陽神戸銀行ってそういえば支店が近くにあったけど、合併統合後なに銀行になったかも覚えていないくらい昔の話だ。

もうハハこの現実世界の住人ではないのか?ムスメの顔をみて、ムスコの悪口とお金の不安以外の話ができるようにはならないのだろうか?

ムスメの一時帰国8日目、ハハの帰宅8日目 大混乱の朝

朝、早くから起き出してきてバタバタしていた。まだ5時台だったのでムスメまだウトウトしながら物音を聞いていた。やがて、玄関の戸を開けて出て行く音が聞こえたが、ゴミを出しに外に出たのだと思い、特に気にかけていなかった。

 

ゴミ出しにしたら時間がかかり過ぎているなと思っていたところに帰宅して、大声で私の名前を呼ぶ。まだ5時台である。もうちょっと寝ていたいムスメが起きてこないと分かると、ハハは2階まで上がってきて、まくしたてた。

 

「家が泥棒に入られた」というのである。自転車を盗まれたから、交番に行って来たけれど、ボケ老人扱いされて相手にされなかったと言って怒っていた。

それからムスコがお金を盗んで行くのが許せないと言い、そのままふて寝してしまった。この日は大学時代の友達に会う約束をしていたのでデイホームを休む予定にしてい他のだが、友達と会うのもデイホームも休むと言い出した。

 

こうなるとテコでも動かないハハである。が、ムスメにも予定がある。

ハハは誰にも会いたくないと言うが、友達はハハに会いたいと言う。もうこれは、お友達に甘えるしかない。会いに来て頂いてもハハが玄関の戸を開けないかもしれなくても、それでも会いに来てくださるというお友達のご厚意に感謝しつつ、ムスメはハハを置いて家を出た。

 

ムスメが家を出たのが、9時半。デイホームから電話がかかったのは10時である。ハハからデイホームの迎えが来ないから今から迎えに来て欲しいと連絡があったというのだ。

30分前まで誰にも会いたくないと言ってたやんか!と心の中で叫びつつ、ハハに電話をして友達が来るのを待つように言った。

 

心配だったので午後に一度ハハに電話して、友達と一緒にいることを確認した。

 

ムスメが帰宅したら上機嫌のハハがいたが、友達と会ったことは忘れていた。

ムスメの顔を見た途端にムスコがいかに冷たいか、お金を盗んで行くか、お金をくれないから何も食べるものがない、というお決まりの文句が始まった。

楽しかったはずの友達との語らいも、物盗られ妄想にかき消されてしまう。

ムスメの一時帰国7日目、ハハの帰宅7日目 物忘れ外来へ

今日は盛り沢山の一日だった。

まずは遺産分割協議書の署名と捺印の打ち合わせだった。税理士や司法書士の前では文句しか言わないハハもきちんとしていた。

無事に署名捺印が終わり、チチの銀行口座を閉鎖する手続き書類にも署名捺印した。

ハハの保有している投資信託を解約しに銀行へ行き、無事に手続きが終了。

昼食を食べて、自宅に戻り休憩した後、物忘れ外来へ行った。

 

脳のCTスキャンを取り、おそらく長谷川式スケールだと思われるテストを行った。

30点満点中19点だった。2年前は30円満点中25点だった。

数字の問題は全問正解だが、今日の日付は答えられなかった。10月だと言っていた。

CTスキャンの結果は、脳に萎縮が見られるということで、血液検査の結果で他の疾患が見つからなければアルツハイマー型の認知症という診断になるということだった。

 

夜はムスコ家族と食事をした。何度も同じ話はしたし、孫たちに対してお説教じみたことも言ったが、久々に大人数で食事ができて楽しそうだった。

 

楽しそうだったが、帰り道ムスメと2人だけになるとムスコへの不信感と怒りをあらわにした。家に帰り着いた頃にはムスコに会ったことすら忘れていた。

ムスメの一時帰国6日目、ハハの帰宅6日目

次の日に大事な打ち合わせを控えていた。チチの遺産分割協議書に署名捺印する日である。この日は、デイホームを休み、午前中に遺産等々の事務作業を済ませ、午後は近所の物忘れ外来の診察の予約があり、夜はムスコ家族と食事をする予定になっている。

 

何度、翌日の予定を伝えても忘れてしまう。カレンダーに書いても、カレンダーに書いたことを忘れるし、カレンダーを見ることすら忘れてしまう。

が、「聞いていない」=「私は仲間外れにされている」=「私は馬鹿にされている」とハハに感じて欲しくないため、無駄だと知りつつ、明日の予定を伝え、カレンダーに記入させた。

 

今更、物忘れ外来に行くのは、証券会社に提出するためだ。

ハハが認知症であることが証券会社に知れることとなり、ハハの資金が凍結されてしまったのだ。それをムスコが動かせるようにするためには半年以内の医師の診断書が必要だからだ。

2年前に大学病院でもらった診断書にはアルツハイマー型認知症と診断されている。寛解する病気ではないのに、半年以内の診断書の提出を求められているのだ。