minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメの一時帰国6日目、ハハの帰宅6日目

次の日に大事な打ち合わせを控えていた。チチの遺産分割協議書に署名捺印する日である。この日は、デイホームを休み、午前中に遺産等々の事務作業を済ませ、午後は近所の物忘れ外来の診察の予約があり、夜はムスコ家族と食事をする予定になっている。

 

何度、翌日の予定を伝えても忘れてしまう。カレンダーに書いても、カレンダーに書いたことを忘れるし、カレンダーを見ることすら忘れてしまう。

が、「聞いていない」=「私は仲間外れにされている」=「私は馬鹿にされている」とハハに感じて欲しくないため、無駄だと知りつつ、明日の予定を伝え、カレンダーに記入させた。

 

今更、物忘れ外来に行くのは、証券会社に提出するためだ。

ハハが認知症であることが証券会社に知れることとなり、ハハの資金が凍結されてしまったのだ。それをムスコが動かせるようにするためには半年以内の医師の診断書が必要だからだ。

2年前に大学病院でもらった診断書にはアルツハイマー型認知症と診断されている。寛解する病気ではないのに、半年以内の診断書の提出を求められているのだ。

 

 

ムスメの一時帰国5日目、ハハの帰宅5日目

ハハにとって朝は混乱の時である。

 

自宅にいることは分かるが、今日が何曜日でその日の予定が全く分からないからだ。

デイホームに行くのか、どのデイホームに行くのか、迎えは来るのか、誰が来るのか、何時に来るのか、何度も何度もムスメに確認しないと安心できない。

 

何度も確認しながら、ムスメの顔を見るたびにムスコとヨメの悪口とお金の心配しか言わなくなっている。

 

ムスメがハハの不安を煽っているのか?だったら自分がいない方がいいのではないかとムスメも疑心暗鬼に感じ始めた。

 

ムスメの一時帰国4日目、ハハの帰宅4日目

今日は日曜日。ハハのデイホームはお休みである。

 

ムスメにとっては恐怖の一日だ。1日中、ハハと顔を付き合わせなければならない。

 

ハハは私の顔を見ると、お金の話しといかにムスコとヨメが冷たいかという話ししかしない。ムスコが生活費をくれない、ムスコとヨメが会ってくれない、電話すらしてくれない、ムスコが預金通帳を留守中に来て盗んで行った。だからムスコは泥棒で生活費をくれないから敵だし、人殺しだと思っている。だから私が死んでも電話しない(←まあ死んだら連絡できないんだけどね)。

 

以上全てフェイクニュースである。デイホームに行く前と後の数時間にこの同じ話を繰り返し聞かされると、ムスメだって腹が立つ。反論しようものなら、ハハが逆ギレする。話を半分に聞いていれば、人の話を聞いていないとまた怒る、黙って聞いていれば、黙ってればいいと思ってるのは卑怯だと非難される。挙げ句の果てにはもうアメリカに帰れと言われる。

 

道理は通らないし、事実はハハの妄想に取って代わり、論理は破綻している。

覚えておいて欲しいことは定着しないし、忘れて欲しいことだけ定着しそれが妄想を産む。まるで小さな雪玉が坂を転げ落ちるうちに大きな雪崩になっていくようだ。

 

なので、墓参りに連れ出すことにした。たまには電車に乗せるのもよいだろう。急ぐ旅でもなし、ゆっくりと歩いて出かけることにした。

電車に乗っている間中もずっとお金の不安とムスコとヨメの悪口しか言わなかっただ、流石に電車の中では声を荒げることはしなかった。

おそらく、墓参りに行ったことは忘れ去られてしまうだろう。でも、それでいいのだ。目の前の景色を少し変えないと、ハハはハハの妄想の世界から抜け出せないのだ。

 

ムスメの一時帰国3日目、ハハの帰宅3日目

朝食を食べながらハハはもう老人ホームに帰らなくてもいいのかと聞くので、ずっと自宅にいてデイホームに行くんだとムスメは言った。

 

するとハハが、家にずっと帰ることになったとは聞いていないから、老人ホームのお友達に挨拶して来なかったし、荷物を全部持って来なかったと言い出した。

荷物は全部持ってきたし、お友達には会いたくなったらいつでも会いに行けるからと言ったが、ムスメの言うことはどうやら頭に残らないらしい。

 

その上、老人ホームはいい所だったと言う始末である。

あれだけ嫌で、帰りたいと言い続け、帰れないのなら死んでやる、と三ヶ月間訴え続けたのに、今更どの口がそんなこと言うのだと、ムスメは言いたかった。どれだけムスコが苦労して自宅に連れて帰る準備をしたのか全くわかっていないし、ムスコの悪口しか言わないハハである。

ハハの話は9割引きで聞かないと身がもたないな、とムスメは思った。

 

ここでもムスメはハハの味方になれないのであった。

ムスメの一時帰国2日目、ハハの帰宅2日目

今日からデイホーム再開である。

朝はどのデイホームに行くのか混乱していた。どうやらハハの脳内では老人ホームとチチが昔入所していた老人ホームとハハが行っていたデイホームとゴッチャになっているらしい。

 

どこへ行くのか、迎えが来るのか、誰が迎えに来るのか、何時に迎えが来るのか、何を持っていくのか、何度聞いても何度話しても忘れてしまう。

 

ハハがデイホームに行った頃、ムスメは施設長さんと話しができた。

スタッフの方々や利用者の方がと再会して涙を流して喜んでいたということだった。

一日の大半を過ごすデイホームには再適応できたらしい。これにはムスメもムスコも安心した。

ムスメの一時帰国1日目、ハハの帰宅1日目 

ムスメは夕方羽田に到着した。

ムスコはハハを老人ホームに迎えに行き、自宅に連れて帰った。

 

ムスメが自宅に着くと、ハハは庭で草むしりをしていた。ムスメが声をかけても黙々と草むしりをしている。

やっと家にあがったハハは怒っていた。

ムスコが孫2人を連れて来なかったからだと言う。

 

怒りがおさまった後は、不安との戦いだった。

だが、老人ホームを退所してこれから自宅でずっと暮らす、ことが定着しないのだ。今日はこれから帰るのか、明日はどこへ行くのか、どのデイホームに行くのか、お迎えのバスは何時に来るのか、何を持っていけばいいのか、誰に会うのか、1人で暮らしていけるのかと不安が次々に浮かんでくる。その強い不安感に孫が来なかった怒りが加わり、ハハはとても不安感だった。

 

半年ぶりに会ったんだから、あれだけ家に帰りたいと言っていたのだからもうちょっと嬉しそうにしてくれてもいいのにとムスメは思ったけれど。

 

 

 

ハハの携帯、あわや没収の危機

ハハはムスコに電話もメールもしていないとムスメに言う。

あの子は忙しいから迷惑にならないようにしようと思って、と殊勝なことを言っているが、現実は真逆だった。

 

ムスコの携帯には5分おきに着信履歴があり、ムスコを人殺しと詰るメールが10分おきに送信されていた。

 

ムスコは携帯を没収すると怒りが抑えきれないようだった。

まあ、気持ちはわかる。元々ワガママなハハである。認知症がワガママに拍車をかけた。それは認める。

 

が、帰宅させるのは渋々同意したムスメも、これだけは譲れない。携帯がなければ、全ての連絡先をハハから奪うことになる。携帯電話を失くさないで操作できるうちは、ハハの交友関係を断ち切るようなことはしたくない。それでなくても、ハハの交友関係はどんどん狭まっていくのだ。ハハの友人だって歳をとっていくし、ハハの言動についていけない友人達は離れて行ったのだ。

 

元々社交的で人と繋がっていたいハハである。携帯電話なしで暮らす事はできないだろう。自宅に戻るとなればなおさらだ。