minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハと長男

ハハは相変わらずである。

 

が、どうやらムスコとハハの兄(ムスメの叔父)を混同しているような口ぶりになってきた。

ムスコがお金をくれないの、という愚痴はムスコと兄がお金をくれないの、という愚痴に変わってきた。電話してもメールしても出ない。遺族年金が出ているはずなのに、銀行の預金通帳もない、手元に現金もない(←3日前の電話では財布が見つかって現金が入っていることを確認しているが)、我が家の家計がどうなっているのか全く分からないし、報告もない。長男なのにけしからん!というのがハハの論法である。

 

ハハがハハの兄を責めているのか、ムスコと混同しているのか、それともこの2人を一括りにして不満に思っているのかどうかは分からない。

認知症になる前のハハはハハの兄のことを長男なのに一族をまとめようという気概が感じられないと言って嘆いていたのは事実なのだが。

 

因みにチチ(ハハの夫でムスメの父)は長男だった。長男が期待されている責任を自分の役割として受け入れ、両親の面倒をみて、看取った後の葬儀や墓地の購入、法事の全てを執り行った。その見返りとして両親の遺産を受け取った。兄弟が3人いたが、遺産の分配で兄弟が争ったことは1秒たりともなかった。

 

ハハの理想の長男像はここにある。期待されている役割を受けて入れて文句を言わずに責任を果たす。

 

さて、ムスコは長男である。姉と弟の長男である。

ハハの兄も長男である。兄と3人の姉妹の長男である。

 

きょうだいで一人息子に生まれたがゆえに負わされる責任、他の男兄弟がいないためにその責任が一人の肩にのしかかる。これは実際の責任よりも、ハハの理想の長男像の期待にこたえるのが、もうすでに無理難題なような気がする。

 

このハハの期待がハハを不幸にしていることだけは確かだ。

長男が文句を言わずに責任を持って両親の面倒をみるもの。長男の嫁は義理の母に尽くすもの。娘は嫁に行き可愛い孫を産むこと。

期待が満たされなかった時の落胆、失望、不満、怒りは大きい。

 

昔はハハとムスメで言い合いをしていたものだ。決してお互い譲らなかったから、いつでも物別れだった。