minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ニューメキシコ州の修道院にて

ニューメキシコ州にある修道院に宿泊してきた。50人を超える修道士がカトリック信仰を基に共同生活を送っているのだそうだ。

20歳台から高齢者は80歳台の男性が伝統的な規律に従って生活しているのを一部だが観察、体験してきた。高齢の修道士は杖をついていたり、車椅子だったり、酸素ボンベを装着していた修道士も見受けられた。

それでも、共同体の中で生活していけるのである。勤労はできる若者がすればいいし、食事は食事当番が毎日三食作ってくれるのである。できることは自分でして、できないことはできる人にやってもらう。修道士だって病気にだってなるだろう、認知症にもなるだろう。それでも共同体が機能していれば、自分のできないことを誰かが補完してくれることが可能なのだ。自分のできることがどんどん少なくなって行くのは悲しいだろうけれど、それでも生かされている場があるというのは生きる支えになるだろう。

 

と、高齢の修道士をみながら、ハハのことを考えていた。

ハハもできないことがどんどん増える。が、フレンチトーストは焼けるのだ。ちょっと手助けしてもらえれば、ハハにでもできることはまだまだ沢山あるのだ。ハハも自分が誰からも必要とされていないと感じることも減るだろう。

だが、その共同体を家族に要求してはダメなのだ。家族の枠を広げて、もっと大きな枠の中で生きて、活かされていくことはできないものか。

 

人里離れた修道院でそんなことばかり考えていた。