minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハと元旦

恐る恐る電話した。予想は裏切られることなく、ハハは不機嫌だった。いや不機嫌は通り越していた。怒っているのか、拗ねているのか、ひがんでいるのか、悔しいのか、寂しいのか、ともかく話しにならなかった。

 

ムスコがおせち料理を大晦日に届けてくれた。それを置いて帰ったということは、それを一人で食べろと言われたことと同じだ、人生最悪の正月だと繰り返し言った。

寂しいから一緒に食べてくれる?と言えればいいのに、と提案してみたが、聞き入れられなかった。ハハのプライドなのだ。義理の両親も自分の両親も自分の全てを犠牲にして介護した(それによって多大な時間を奪われた)のだから、しかも自分が建ててやった家に安い家賃で住まわせてやってるんだから、それくらいしてもらって当然だと頑なに譲らないのだ。

子供二人育てて、家族でさえ自分の思い通りにならないし、変えられないということが喜寿を迎えても学習できていないのは、もはや死に至る病ではあるまいか。

 

美味しいおせち料理を届けてもらって、一人で気楽に食べられるなんて天国じゃん!とムスメは思ったが黙っておいた。ここにハハとムスメの決定的な違いがある。