minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ヨーロッパ事情 親子関係編

やはり親子関係には注目してしまう。すべては「印象」「そんな感じ」でしかないのだが。

 

オランダである親子に出会った。印象に残ったので紹介したい。

母親80歳、娘50歳。娘は自転車(さすがオランダ!)で2時間ほど離れた所に住んでいる。母親は一軒家に独居である。間取りは一階がキッチン・リビング・ダイニングとトイレ。二階がベッドルーム・アトリエ(アクセサリー作家、数年前の脳梗塞を機に中断している)・トイレ・バスタブ(現在は使っていない)。三階がかつての子供部屋・シャワー。地下が物置と洗濯機。階段は狭く急で、カーブしており、一階から地下に降りる階段は、ほとんど梯子状態だと言える。私でもどうやって洗濯物を持ってこの階段を使えるんだろうと思ってしまうほどだ。

脳梗塞の後遺症はほとんどないのだが、歩行は杖もしくはウォーカーの補助が必要なので、階段はとても危険だ。しかもバスタブが二階にあるのにシャワーが三階にしかないのは不便きわまりない、と他人の私は思う。

 

たまたま娘が泊まりにきていたところにお邪魔したのだが、何が印象に残ったのかと言うと、その”さっぱり”とした親子関係だった。私は全くオランダ語が分からないので、私の勘でしかないのだが、仲のよい母娘のように見受けられた。

しかし、どちらもお互いに期待していないのだ。一例をあげるなら、母親は娘が家を掃除することを期待していない。歩行に困難があれば、三階から地下までの掃除が難しいことは明らかだ。だが、母親は娘に掃除するものだと期待していない。娘も母親から色々頼まれることを期待していないし、その見返りに素直な母親であるべきだ期待していない、と言えば言いすぎだろうか。

さっぱりしているが、よそよそしいとか冷たいのとも違う。私は私で、母は母だし、私は私で、娘は娘であって、それ以下でもそれ以上でもない。

 

これはベタベタとした母娘関係しか知らない私にとっては、上級編だ。

二階や三階にはゴミで一杯になったゴミ袋がいくつかあったのだが、娘がそれをせめて一階に下ろすこともしない。母も「ゴミ袋を一階に下ろして頂戴よ」ということもない。娘は母親の家を掃除しないという罪悪感を持つこともない。母は娘がちっとも自分に優しくしてくれないと嘆くこともない。

 

私のハハだったら、ムスメなんだからそれくらい気を利かせなさいよ、くらいは言っただろうし、それが人にものをお願いする態度なのかとムスメはムッとしただろう。娘なんだから母親を助けて当然という期待値と人にものをお願いするんだったらもう少し素直な物言いがあるだろうにという期待値は一致しない。

 

このさっぱりとした親子関係が築ければ、ストレスのないものになるのに。それにはお互いの自立を尊重することを学ばなければならないのだろう。それをハハに学べというのは酷かもしれないが。