minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

伊藤比呂美さんのインタビュー

NHKラジオで伊藤比呂美さんのインタビューを聴きました。

こちらで16日まで聴けます。

 

私は伊藤先生の大フアンで、人生の先輩として尊敬してフォローしています。

去年帰国時には、講演会に行っちゃいました。

私には弟が日本にいるけれど、伊藤先生は一人っ子でアメリカと日本でご両親を介護された大先輩です。

もちろん、著作も愛読しております。

 

インタビューの後半で、リスナーからの人生相談がありました。その中の一つに、母の介護を辛いというものがありました。

伊藤先生は

他人を入れなさい。適当に付き合いなさい。そして、親が死んだ時には「もっとよくしてあげれば良かった」と後悔するのがいい。後悔はすばらしい。もし、出来る事は全てやったと思えるのだとしたら、その人が正義になってしまう。そうすると人としてつまんない所に行ってしまう気がする。

 と仰っていました。

 

ああ、ここに経験者の知恵がある、と思いました。

だからと言って介護の負担が減るわけでもない、心配も不安も尽きないし、罪悪感は消せないのだけれど。

 

ハハにとって今日は元旦

ハハは不機嫌だった。

朝起こしたら、今日は元旦デイホームがないから寝る、と言う。

 

お正月はもう終わってデイホームにいく日だから、とムスメが言えば、

 

「え?今日は元旦じゃないの?」と言う。

 

先日はお正月ということが分かっていなかったが、今日は季節がちゃんと把握できている。1週間遅れではあるが、上出来としよう。

 

だからと言ってハハのご機嫌がなおるわけでもないのだが。

相変わらず、不安も、誰かに殺されかかっている妄想も強い。以前はムスコが私を餓死させようとしていると言っていたものだが、今日は誰に殺されそうなのかは分からないと言っていた。

ムスコに対する不信感が消えるとよいのだが。

 

ハハ、オリンピックを見に行くと言う

朝起きて何をしたらいいのかが分からなくて不安になることが多いハハである。

メモはしてあることもあるが、メモしたことを忘れているし、そのメモがどこにあるかが分からなくなってしまっているので、メモは役に立たなくなってしまった。

 

メモしてあれば思い出せることは非常に高い能力が要求されるのだなあ、とハハを見ていて思う。

 

そんなハハだが、今日はオリンピックを見に行く予定になっていたはずだけど?何時にバスが来るのか分からないし、今日がその日だったかどうかも曖昧で混乱していた。

 

土曜日だしみんなで初詣に行くんじゃないの?オリンピックは夏だからね、とムスメが言えば、

 

「え?今お正月なの?」

 

オリンピックがもうすぐだということは分かっているのに、今が一月だとは分からないのね。認知症とは不思議なものだ。

ハハの年末年始は謎だが

年末から年始にかけてハハに電話をかけ続けていた。ハハが電話に出ないからだった。

 

年末年始のデイホームがお正月休みになる間はショートステイに行く予定にしていた。

短期間とはいえ、今のハハの状態をかんがみると環境の変化は混乱をきたすだろうなと予想していた。

しかし、ムスコは仕事、ムスメはアメリカ(帰国しようか提案したが、その必要なしと言われた)である。

 

昨日ようやくハハが電話に出た。普段通りだった。つまり自宅にいたようだった。

ショートステイに行っていないのか?

ムスコに連絡しても返事がないし、ハハの言うことは的を得ない。

 

謎は謎のままだが、ショートステイに行っていようと、自宅に一人でいようと、どちらでもハハが無事ならそれでいいのである。

ハハの感情の振れ幅は最大急

ハハは相変わらずである。

しかし、感情の振れ幅は大きくなっている気がする。

 

落ち込めば底へズドンと落ちて「もう生きていたくない」、怒れば「もう死んでやる」

と瞬間湯沸かし器になる。元々感情的な性格なのも一因だろうけれど、これも認知症のなせる技か?

 

今朝は大荒れだった。ハハが今住む家(チチの名義だった)の相続についてきかれたので説明したのだが、そんな事聞いていないの一点張りだった。相続については認知症になる前からチチが生きている時から話し合って合意していたし、その合意通りに今年の3月にはきちんと法的書類を整えたし、その場にハハも同席したけれど全く覚えていなかった。

 

ハハの思い込みでは家は自分の名義になっていて、自分が死ねば相続人であるムスコとムスメが喜ぶだろうという図式が出来上がってしまっていた。ムスコは金に困っているという思い込みもあるので、事業がうまくいっていないムスコはハハが死んで遺産が転がり混んで来るのを楽しみに待っている、だから早く餓死させるようにお金も持たせてもらっていないし、電話の一本もよこさないのだ、という思い込みがますます真実味に拍車をかけてしまっている。

 

たとえ忘れてしまっても、きちんと事実は伝えたかったが、何をどう説明してもハハの思い込みは上書きできなかった。ハハが死んで、経済的に豊かになる相続人は誰もいないのに。ハハには幸せに人生を全うしてもらいたいだけなのに。

 

何をどう言えば分かってもらえたのだろう?

 

 

 

ハハの誕生日

12月4日はハハの誕生日だった。

 

電話したら、自分の誕生日が12月4日だとちゃんと覚えていて嬉しそうだった。

でも、私は何歳になったの?と聞かれた。

 

まあ、それでいいのよね。79歳なんだもの。

 

ハハとバスツアー

今朝は殊の外機嫌が悪かった。

今日はデイホームのバスツアー2時からあると言われたけれど、そんなこと聞いていないから、行かない。大体バスツアーに行くお金も全くないし。ムスコに電話しても通話拒否になってるし、デイホームに電話しても誰も出ない。

 

デイホームにいつも通りに集まってバスで行くんじゃないの?とムスメが聞いても耳には入らないようだった。

 

みんな私のことを嫌っている。こんなことなら生きていなくてもいい。バスツアーなんか行かない。今日これから死んでやる!

 

と高らかに叫んで電話を切られた。

 

ムスコには一応メールした。

デイホームに電話して、今日バスツアーがあるのかどうか、お迎えはいつも通り9時に来るのかどうか確認しようかと思ったけれど、やめた。

プロのデイホームの方々を信頼してお任せしようと思った。週6日ハハと関わりを持つ方々である。ハハがバスツアーのことなんか聞いていないと言うことなど想定済みだろうし。

 

それに、これくらいのことでムスメがアメリカで動揺しても何の助けにもならないし、今後こんなことが起こる度にムスメが先回りして介入することはハハの求めているものでもない。

ムスメやムスコが同居してもハハの要求は叶えられるものでもないし。

そして、ハハは自分の要求がどれだけ不条理で不合理で非現実的か全く理解していないし。

 

そしてその要求がハハ自信を苦しめていることも理解していない。

これは認知症になる前も後も変わることがない。