minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメ、カウンセリングを受ける

泣いてばかりいたが、これではダメだと思えるようになった。

最大の敵は罪悪感なんだと分かった。

 

自分で選択してアメリカにいる、自分のやりたいことを追求するために、自分が快適だと思える生活を送るために、自分で選んで日本を離れた。その結果、ハハは老人ホームへ入居せざるを得なくなり、不幸な生活を強いられている。私が日本を離れることを望んだからだ。私が欲しいものを欲しいと言ったからだ。ハハを不幸にしてまでも欲しいものだったのか。弟にも迷惑をかけてしまっている。弟にだって家族があるのに。

と、日本を離れてしまった罪悪感から自分を責めてばかりいた。

 

どうにもならなくて、とうとうカウンセリングを受けることにした。1人でこの罪悪感の重圧から抜け出せないと認めざるをえなかった。

 

カウンセラーは年上の女性だった。ともかく現状を説明して、罪悪感に苛まれずに生きていきたいのだと訴えた。

 

いくつかロールプレイングをした後で、この祈りを教えてもらった。

以前から知っていた。チチもアルコール依存症だったからだ。

 

God grant me the serenity to accept the things I cannot change,
Courage to change the things I can,
and the Wisdom to know the difference.

 

私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい。

 

まずは、自分にできることとできないことの区別をつける。そこからが始まりだ。

とりあえず本契約

ショートステイのままでは契約の延長ができないと言われ、本契約を結ぶことになった。とりあえずは入居金なしのプランで数ヶ月様子を見て、施設に馴染めそうだったら入居金をいくらか支払い、月々の利用料を減らすプランに変更する予定である。

 

だが、ハハは絶不調である。慣れない環境に連れて来られて混乱しているところへ、慣れない人間関係のストレスを抱えてしまった。いつも同じテーブルで食事をする利用者に心ないこと(とハハが思っている)を言われたらしい。

 

もうこんな所にいるのは嫌だと、こんな所にいるくらいなら死にたい、ここは5階だから飛び降りられればいいけれど、窓が開かないようになっている、と何度も何度も繰り返した。

 

うまくホームのスタッフが活動に誘い出してくれればいいのに、と心から願う。

少しでも気が紛れればいい。

とりあえず1ヶ月延長か?

ハハは相変わらずである。気分のよい日は「ここは良いところ」と言い、不機嫌な日は「早く家に帰りたい」と言う。

 

ムスコとムスメはとりあえずもう1ヶ月ショートステイを延長させたいと考えている。

施設が受け入れてくれれば、の条件付きだが。

 

ムスメとしては、デイホームが休みになる時期にハハを自宅に戻せない、しかもハハの使うトイレが壊れている(2階までわざわざ行かなければならない)、何よりムスコがお正月休める、そしてもう1ヶ月過ごす間にハハが老人ホームに慣れてくれればという淡い期待があるからだ。

 

自宅にいても、生活費はもらえない、ムスコ家族が優しくしてくれない、デイホームはつまらない、人生楽しいことは何もない、とこぼすハハである。

だったら安全で、いつも誰かがいるそばにいる生活をしていてもらいたいのだが。

ムスメ大失敗 本当のことは言ってはいけない

いやはや、ムスメ一世一代の大失敗です。

 

ちょいと口が滑っちゃったんですよ。ハハが認知症だって、証券会社の担当者に。

その一言でハハの口座は凍結されました。不注意でした。

 

ハハの口座を解凍するには、医師の診断書で認知症だと証明して、ムスメとハハの親子関係を証明して、証券会社の担当者と面談してという手続きが必要になるそうです。

 

成年後見人にならなくて済んだだけ有難いと思わなければなりません。

 

最近では電話一本で取引できたりしますので、ハハの口座が守られていると思うことにします。診断書をもらうという余計な仕事を増やしましたが。

 

弟のことが分からない②

弟はハハを老人ホームに入居させたいものだとばかり思っていた。(前回はこちらから読めます

 

口汚く言ってしまえば、もう厄介払いしたいのだと思っていた。

 

要介護3になったハハを弟は特別養護老人ホームに入居させたがっていたからだ。

都内で特養の空きは本当に少ないのが現状だ。要介護5のチチですら、主たる介護者のハハが入院しても空きは出なかったのに。

だが、東京都下では空きがある特養もある。果てしなく遠いが。何かがあって駆けつけなければならない場合、休みの日に顔を見に行くのも時間がかかるよと私が言えば、

 

会いに行かなければいいじゃん

 

と言っていたのだ。介護しても、介護してもお金を盗んでいると言われ続ければそれも理解できる。もう、弟は限界なのだと理解していた。

 

だから、余計に分からない。

 

 

弟のことが分からない①

私は弟がハハを施設に入居させたいのだと理解していた。

 

忙しい仕事をこなしながら、朝晩時間構わずかかってくるハハからの電話にでて、ハハがすぐに紛失する銀行通帳とカードを再発行し、定期購読のサプリメントを解約し、デイホームのスタッフと打ち合わせをし、ケアマネと話し、仕事が休みの日には実家へ行き冷蔵庫を確認し必要なものを買い揃え、ということを1人でやっているのに、ハハからはお金を盗んでいく泥棒だと言われる。親切にしてもらえないから死んでやると言われる。

 

姉はアメリカにいて役に立たない。妻は病名のつかない奇病を患っている。

 

もう限界である。誰がみてももう限界である。

 

だから、弟がハハの家の壊れたトイレを修理しないと言った時、私は無理に修理させようとしなかった。当のハハ本人が困っていなかったというもあるが、近い将来施設に入居するのならわざわざお金をかけて修理したくなかった気持ちが理解できたからだ。

 

ハハをこのまま入居させるか家に戻すか選択を迫られるなかで、老人ホームにいても家にいてもハハは不満で一杯なんだから、ハハが安全であることと弟が楽できる方を選んだらいいのだと思うと私は弟にメールで伝えた。

 

私は弟がもう十分に介護したこと、老人ホームに入居させることには賛成であることを伝えたかったのだ。

 

それに対して弟は、楽だとか安全だとかそんな簡単な話しじゃない、とどうやら怒っているようなのだった。植物状態のハハならまだしも、まだ心のある状態だから悩むのだと。

 

このメールを読んで戸惑ったのは私の方である。てっきり入居させたいのだと思っていたからだ。

 

 

ハハの帰宅願望 大混乱

施設長さんから2度目の話を聞いた。

 

昼間は元気に活動に参加しているが、夕方頃から帰宅願望が強くなってくるということだった。それは想定内なので、施設としては対応可能だという。もう一点指摘されたのは、お金に対する不安感が強いということだった。手持ちの現金がないけれど、どうしたらいいだろうかと事務所に何度も行ったらしい。

 

ムスメが電話しているのが日本の朝なので、ハハは元気に起きているか、まだベッドの中で寝ていて起きたくないと鬱鬱していることのどちらかのことが多い。早く家に帰りたいと言うことはあっても、朝食の誘いがくれば忘れてしまう程度のように思えた。

 

が、日本時間の夕方に電話をしたらハハは大混乱だった。

電話に出た相手がムスメだと分かるとまず声高に「今どこにいる?日本なの?アメリカなの?」と聞く。アメリカだと言うと、そこからは一方的にまくしたてた。

 

今、大津という所にいる。生協の旅行で来ているから知り合いが1人もいない。帰りたいけれど、全財産が800円しかないから帰れない。ムスコに連絡したら迎えに来られないと言われた。もう歩いて帰るしかない。でも、生協の旅行で来ているから知り合いが1人もいないからお金を借りることもできない。ここでは食事は出るけど、食事したら食べただけお金がかかるでしょう。800円しかないのにどうやってここの支払いをすればいいのか分からない。妹(ムスメの叔母)に連絡したら高飛車な応対しかしないからもう絶交した。ゴチャゴチャ言わないで一万円送ってくれれば私は家に帰れるのに。

 

声はキンキンに高くなり、感情が激昂していくのを止める術が見つけられないようだった。

 

ああ、これなんだ。施設側の言う感情が高ぶったというのは。とムスメは納得した。

 

宿泊代と食事代はちゃんと払ってあるから大丈夫だとムスメが言っても、聞く耳を持たない。払ってあるのは今日までの分で明日からのは払ってないはずだと思い込んでしまっている。

 

食べたら食べた分だけお金がかかるんだから、食事にも行ってない(←これはフェイクニュースである)。部屋のテレビをつければそれだけ電気代がかかるからテレビも見ないようにしているんだから。こんなに母親を苦しめて迎えに来ない息子が許せない。妹も高飛車で冷たい。

 

ムスコは忘年会シーズンで忙しいからね。叔母ちゃんも叔父ちゃんがまだ現役で働いてるから色々忙しいんだよね。困ったね。

事務所の人の所に行ってね、もう少しここに居させてくださいって言ったら優しい人たちだがら泊めてもらえるよ。お金はムスコが来た時に払ってもらえばいいんだから。

と何度も何度もムスメが言って、ようやく気持ちが落ち着いてきたようだったが、夕食後どうだっただろうか。

 

不思議なのは、大津ってのはどこから出てきたのだろうか。ハハが大津について話すのを初めて聞いたからだ。今いる所は草加である。