minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハと借金

ハハが借金をしていることが発覚した。

 

現金が手元にないことが不安でたまらなかったらしく、ハハの妹に電話して送ってもらったらしい。総額5万円ほどだ。

もちろん、送ってもらった5万円はとっくにどこかへ消えてしまった。

 

もうキリがないよ、というのがムスコの弁。何かを買った形跡はない。引き出しはグチャグチャなので、隠されたらもう見つからない。渡しても渡しても消えていく。本人はなくしたことさえ分からない。

 

借りた相手が親族でよかった。消費者金融でなくて。

ハハと金銭管理 ムスコの嘘のその後

ムスコは銀行通帳もカードもクレジットカードも全てハハに返したと嘘をついた

ハハに金銭管理ができないことを再認識させて、ムスコに委ねるようにするためだった。

 

日曜日に電話したら、昼過ぎだったがまだ寝ていた。お金が一銭もないから何も食べないで寝ているのだという。土曜日に2000円を渡してもらうことになっているが、それも見つからないという。

銀行通帳もカードも見つからないので、ムスコが持って行ったとしか考えられない、と言っていた。

 

つまり、返してもらった(ことになっている)を忘れているのだ。

 

そう、目の前にないものはこの世に存在しないのだ。現金も銀行通帳も。

 

目の前にいないムスメはまだこの世に存在しているようで、少しは安心したのだが。

ハハと来客

先週の日曜日に電話をした時のことだ。日曜日はデイホームがないので、何したらいいか分からない、ムスコ夫婦がかまってくれない、お金がないから食べるものがないから死にたい、と鬱々としているのが常だが、先日は違った。

昼過ぎに電話したのに、もう起きて買い物も済ませてきたところだと言う。これから来客があるから迎える準備をしているらしい。上機嫌で張り切っていた。

話を聞いていると、どうやらデイホームの理事長さんが訪ねてくるらしいのだ。月曜日から土曜日までデイホームに行っているのに、日曜日に理事長さんが訪ねてくるとは何事かとムスメは思ったが、ハハが上機嫌でいてくれるなら、何でもありがたかった。

 

翌日の月曜日にも電話したが、前日に来客があったことすら忘れていた。

後になって判明したのは、理事長さんがハハを美容院に連れて行ってくれたということだった。

 

そこまでハハのニーズに対応してくださるなんて、感謝してもしきれない。

 

ハハと金銭管理 ムスコの嘘

ムスコがハハとチチの金銭管理をしているのだが、ハハはそれが気に入らない。最近ではムスコの商売がうまく行っていないから、チチとハハのお金を盗んでいると言うようになった。それをムスコ本人にもムスメにもはたまた他人にも公言するようになった。

 

ムスコはとうとう耐えかねず、全てをハハに返したと言った。

失くしても、盗られても、損しても、もう僕の責任ではありませんよ、何があっても知りませんよ、と宣言したのだ。

 

それを知らされたムスメがパニックになった。ダメだよ。チチの年金がなくなっちゃうよ。ハハが使い込まなくても、通帳やカードを盗まれちゃうかもしれないよ、どこかに落としてきちゃうかもしれないよ、親切顔して近づいてくる詐欺に引っ掛かっちゃうよ、どうするの?

 

実はこれがムスコの嘘だった。通帳もキャッシュカードも全部返したと言いつつ渡していないのだ。あるはずのない通帳やキャッシュカードを探すハハがパニックになっていることを知っているのに、嘘をつき続けている。ハハが自分では管理できないと認識させるためだと言う。

 

ハハの手元にチチの年金がないと知って胸をなでおろしたムスメだった。

 

だが、ハハが金銭管理が自分でできないと認識するのは無理だろうと思う。

手元にあった現金が5分後には消えてなくなるのだから、管理もへったくれもない。が、ムスコの嘘が報われる日が来てほしいと願うばかりだ。

 

自分の老後は?③ 自分のニーズをはっきりさせる

これははっきり言って自信がない。

 

自分に何が必要なのかよく分かっていないからだ。何が食べたいのかと聞かれても困る事がよくある。

 

ハハがヘルパーを嫌がったのは、何をしてもらいたいか分からないのに他人が家に入ってくることだったのではないかと今では思っている。

 

掃除をしてもらいたいのか、食事を作ってほしいのか、買い物に行ってほしいのか、洗濯をしてもらいたいのか、話し相手になってほしいのか、具体的であれば具体的であるほどいいと思う。

 

新築の家を建ててやったのに電話の一本も寄越さないなんて、なんて恩知らずなヨメなんだ、一人暮らしの義理の母が寂しいだろうにと気遣いもできないのかと怒らず、寂しいから時々電話ちょうだいね、とハハも言えれば楽なのに。

 

これは今から猛特訓が必要だ。

将来ヘルパーにきてもらう事があったら、お風呂の掃除をしてほしい、台所の床を拭いてほしい、トイレ掃除お願いします、煮物を作ってくれるかしら、と上手に頼めるようになりたい。そして美味しいコーヒー入れるから一緒に飲みましょう、くらい言いたいものだ。

 

 

ハハと家族 ムスメの気持ち

ハハはよく「家族なんだから」と言う。

 

ハハがそれをどんな意味で使っているのか確認した事はないが、私には「家族なんだから自分の事は犠牲にしても親に尽くすべき」と解釈していた。

 

「家族なんだから」お嫁さんがもっと家事や介護を手伝うのが当然、お嫁さんが孫を連れて来て当然、ムスコがお嫁さんを長男の嫁として教育して当然、ムスメは結婚して孫を産むのが当然、結婚していないムスメはハハと同居して(介護して)当然、お正月は家族で過ごすのが当然、お彼岸は墓参りに行って当然というメッセージを私は感じていたからだ。

 

この「当然だと思う」には落とし穴がある。ハハには当然の事であっても、他人(それが子供であっても)にとっては当然でないかもしれない、という事である。当然であると思っていれば、それが満たされない場合、がっかりするし、満たしてくれない人への怒りとなる。

 

そして、当然と思われても困るんだよな、というのがムスメとしての本音である。

ハハの期待通りに生きられませんでした。子供も産みませんでした。同居もできません。デキの悪いムスメでごめんなさい。

嫁に行かないムスメ又はムスコ夫婦が同居して面倒みてくれるべきだという期待を諦めてくれませんか。どんなに望んでもそれは手に入らないのです。それは一人娘がピアニストにも医者にも母親にもなれなかったのと同じことです。一人息子が一流大学を卒業して銀行員になれなかったのと同じことです。

 

だからと言ってハハを不幸にしたいのではありません。家族以外の人々の中で、幸せに生きていくことは可能だからです。家族が特別な存在なのは否定しません。けれど、全てを子供に託されても責任を果たせないのが現状です。できる限りのことはするつもりです。でもムスメもヨメも仕事を捨てて介護に専念することはできないのです。

 

ああ、家族って一体何なのだろう。

 

 

ハハと家族

日曜日に電話したら、案の定絶不調だった。

 

何をしたらいいのか分からない、何もしたくない、ムスコ夫婦が優しくない、もう死にたい、と言っていた。

 

先週の水曜日にはムスコが来て一緒にチチに会いに行ったはずなのに、覚えていないのだ。

「日曜日なんだから、家に呼んでくれればいいのに」とハハは言う。ムスコの家に行きたいのだ。ムスコは日曜日は仕事だし、お嫁さんは体調崩しているし、孫はクラブ活動で誰も家にいないのよ、とムスメが言っても聞く耳は持たない。

 

一人で寂しくて寂しくてやりきれないのだ。週に6日デイホームに行っても、結局は一人、周囲は老人ばかりで家族ではない。日曜日は一人で過ごさなければならない、お金もないし、食べるものもない、ヨメがご機嫌うかがいの電話一本寄越さない。家族の温かみが感じられないのだ。

 

結局、ハハが義理の両親と同居して介護したように、ムスコ夫婦と同居して、ヨメに優しくしてもらいたいのだ。

 

こう言われてしまうと、ムスコとムスメとしては策がない。同居ができない共働きムスコ夫婦とアメリカ在住のムスメができることは限られている。

老人ホームに入居したとしても、毎食暖かい食事ができて快適な生活が送れたとしても、ハハが満足することはないのだろう。先週予定していた老人ホームの体験入居はハハがテコでも動かなかったためにキャンセルせざるをえなかった。

 

ハハの家族に対する気持ちがこれだけ強いものだとは、頭では分かっていても、実感できていなかったムスメは途方にくれている。