minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ムスメの一時帰国 7日目 薬について

近所の内科医に処方してもらって認知症の進行を遅らせる薬を飲んでいた。当然、ハハは飲みたがらない。チチが飲んでいても効果がなかったからだ。それに自分で管理することもできない。

 

一ヶ月ごとにデイホームから病院へ寄ってもらい、その足で薬局へ行き、薬剤師さんがデイホームに1週間分ずつ届けてくれていた。

 

ものすごい手間である。しかも過去2週間はハハの持ち合わせがなく、薬局にお金を借りていた。

ムスメが薬局へ行き代金を支払いお礼を言ってきた。

 

女性の薬剤師さんは、これ以上服薬しなくてもいいのではないかと提案してきた。本人や家族ががどうしても飲みたいというのなら話しは別だが、服薬管理が本人にできないこと、薬の効果が出ていないのに(認知症の進行は加速していくばかりだ)無理に飲み続けることもない、との見解だった。しかも、処方する内科医はハハと会わずに薬だけ処方し続けているのだとこと。本人と家族が薬を続けたいというのであれば、処方の変更も提案することも検討してくれているとまで言ってくれた。

 

ハハはこの地域で守られていると感じた瞬間だった。手間を惜しまずに病院と薬局へ送迎してくれるデイホーム、生身のハハをみてアドバイスをくれる薬剤師、さりげなく気にかけてくれているご近所のおばちゃん達、有難いことだ。

 

結局、ムスメとムスコで服薬中止を決めた。

薬を飲んでも認知症の進行が遅くなっているとは思えないし、不安や被害妄想もひどいからだ。ケアマネもデイホームも決断を受け入れてくれた。

ムスメの一時帰国 6日目 ハハとフレンチトースト

ハハの冷蔵庫はついに綺麗になった。料理をしなくなったからだ。

デイホームで昼食を食べ、夕食のお弁当をもらって帰宅後それを食べる、という習慣が確立していた。

 

帰国中はムスメが朝食の準備をした。冷蔵庫には調味料以外何もなかったが、冷凍庫にはパンが沢山あったので、前夜から解凍したものをフレンチトーストにして食べることにした。卵液にパンをつけておいたら、ハハがそれを焼くと言うではないか。

 

バターで焼いてと頼んでバターを渡した。

 

さすがは50年の主婦歴である。焼き上がりは完璧だった。

 

冷凍してあるパンを解凍してフレンチトーストにするというアイディアは思いつかなくても、目の前に焼くべくフレンチトーストがあれば焼けるのだ。

 

老人ホームの体験入居がつまらなかったと言うハハだが、それこそ三食昼寝入浴つきである。もちろん、老人ホームでは各種様々な活動があり、ハハをいつでも部屋から引っ張り出してくれたに違いないのだが、フレンチトーストを作り、焼きたてを誰かと食べる、と言うささやかな体験が得られないのだろうと推察できた。本来ならばグループホームのように利用者ができることはなるべく自分でするような施設の方が、今のハハには良いのかもしれない。が、要介護2で入所できるところはほとんどないだろうし、年齢的にも周囲の利用者と馴染めないだろう。

 

認知症のレベルとしては今が最も難しいかもしれない。本人も周囲の家族も。

出来なくなった事とまだ出来ることのギャップが大きすぎるのだ。

 

 

 

ムスメの一時帰国 5日目

土曜日の朝起きてきたハハがレンタル布団は来るの?と聞いた。

もう火曜日に来たから今日は来ないよ、とムスメが答えると驚いた顔をした。

 

ムスメの一時帰国中は布団をレンタルすることにしている。思い切って古い布団は処分した。保管する場所も管理する手間からも解放されて、しかもフカフカの布団で寝られるのは有難い。

 

じゃあ、火曜日に帰国したの?それからずっとここに泊まってるの?とハハが聞く。

そうだよ、とムスメが言っても納得できないでいる。全然覚えていない、と呆然としていた。

 

ハハの物忘れはここまでひどくなったのか。食事をしたのを忘れたことはあったけれど、老人ホームの見学やチチの見舞いに行ったことは単発のイベントなので覚えていなくても、まあしょうがないかで済ませていた。が、毎日顔を付き合わせていたのにムスメが泊まっていたことを忘れてしまっている。これはもう単なる物忘れではないのかもしれない。

 

 

 

 

ムスメの一時帰国 4日目 ハハとクリーム

ハハが顔につけるクリームが欲しいと言うので、近所のスーパーに一緒に行った。色々と種類があって何を選べばいいのか迷っていた。

 

簡単なものがいいとムスメは思った。ローションと乳液の2つにするとどちらを先につけるのか分からなくなりそうだったからだ。なので、ハハも簡単なものがいいと言うのでオールインワンゲルなるものを買った。

夜中の通販で買ったと思われる美容液は使われず放置されているのだから、スキンケアにはさほど興味はないのだろうし、しかも1つでシンプルで近所で買えるものだったら、ムスメがいなくても一人で買いに行けるだろうと思ったからだった。

 

が、それはムスメが甘かった。

 

容器の形状の事を全く考えていなかったからだ。

そのオールインワンゲルはジャータイプのものだったのだが、ハハは顔につけたがらないのだ。

 

顔につけるものがないと再度言うので、買って来たのがあるでしょうとムスメが言うと、あれはハンドクリームだから顔につけるものではないと言う。

 

なるほど、ハハにとってハンドクリームとは昔ながらの丸いジャータイプのものなのだ。 それが固定していて、新しいオールインワンゲルなどというもの、しかも見慣れたハンドクリーム缶に入ったどうにも受け入れられないらしい。

 

うーん、どうにも色々難しい。

ムスメの一時帰国 3日目 ムスメ閉じ込められる

朝食を食べ、ハハはデイホームの準備をする。入浴の日なので着替えとバスタオルを持参するのだ。時間はかかるし、何度も何度もカバンの中身を確認していたが、自分で準備できた。

 

デイホームのお迎えバスが来た時ムスメは丁度電話をしていて見送れなかった。
ハハは玄関を出て鍵を二つかけた。

 

そう、実家には玄関の外からかける鍵が二つあるのだ。一つは内側から開けられる普通の鍵だが、もう一つは内側から開けられないようにする鍵なのだ。チチの徘徊がひどくなった時に、苦肉の策でつけたものだった。

 

困ったのはムスメである。玄関のドアが内側から開けられなくなってしまったと気づいたのは出かけようとした時だった。やむなく窓から外に出て、玄関に回って鍵を開けた。

 

家の中にムスメがいるのを忘れてしまったか、はたまた習慣でそうしたのか、ともかく前途多難である。

ムスメ一時帰国 2日目 老人ホーム見学

ムスコが車で迎えに来た。ハハにはチチのお見舞いに行くとだけ言っておいた。

 

当初はチチの施設に一緒に行った後、ハハの老人ホーム見学に行く予定だったが、当日の朝になってトラブルがあり出発時間が遅れてしまった。とり急ぎハハの老人ホームに向かうことにした。

 

車の中でムスコがハハに老人ホーム見学に行くことにしたと伝えたのだが、ハハは反対した。まだ必要ないし、そんなお金ないし、今の生活が気に入ってるからと頑なだったが、一旦到着したら「綺麗な所ね」と言い車から降りた。

 

2017年9月にオープンしたばかりの施設で、窓も大きく開放感があり、利用者の方々は穏やかな顔をされていた。ただ、ハハより年令は大分上のように見受けられた。

居室、浴室、共有スペースを施設のケアマネに見せてもらってから、実際に昼食を食べてみた。毎日食べるには丁度よい味付けの美味しいものだった。

 

食事の後、ハハはキッパリとケアマネに言った。ここがいい施設だということは良く分かりましたが、娑婆の世界と隔離されて生きる決心がついておりません、子供達に心配かけたくない一心で来ていますが、私は今の生活に十分満足しております。

 

ムスメはやっと理解した。ハハの老人ホームのイメージは、現代版姥捨山で子供に捨てられた恥ずかしく、一度入ったら監禁されて死ぬまで出られない惨めな場所なのだ。不安なく快適に安全に暮らせる場所をハハに提供したいムスコとムスメの持つ老人ホームのイメージとはかけ離れていたのだ。

 

ここでのケアマネの対応はさすがだった。外出は自由だし、施設から仕事に行く方、週末は自宅整理に行く方、家族と旅行に行く方、それぞれの方のニーズに個別に対応するし、ほとんどの方が家族に勧められて入居してると、ハハの目線で話してくれた。

 

帰る頃にはすっかりリラックスして、いい所だったわよね〜と言っていた。

 

だが、帰宅してムスコが帰った後では見学に行ったことも、ムスコが来たことも覚えていなかった。

 

ムスメの一時帰国 1日目

ハハはデイホームに行っていたので家に上がって待っていた。1年前と比べて実家は相変わらず雑然としている。

洗濯はできているようで、ベランダにはタオルが干してあった。が、洗濯機の中にはいつ洗ったかわからない洗濯物が放置されていた。

冷蔵庫の中はスッキリと片付いていた。週6日お弁当を出してもらうようになって料理はしていないようだ。

 

お世話になっているデイホームの施設長さんに電話をした。週6日にしてから前向きになってきたとのこと、短期記憶は欠損しているが、健忘症の範疇だと施設側では考えているとのことだった。

 

一年ぶりに会ったハハはふっくらしていた。デイホームのおかげだ。

頬がふっくらすると幸せそうに見えるのだが、ハハの口から出る言葉は何一つとして幸せなものではなかった。この先10日間は平穏ではないだろう。