minnesotakkoの日記

国際遠距離介護の記録

ハハ、不機嫌になる

電話したらとても機嫌が悪かった。

ムスコが来て、色々な事務手続きをしているという。よかったね、とムスメが言えば、よくないわよとそっけない。

 

なんでよくないの?とムスメ

 

あのね、いちいち気にしてくれなくてもいいから。アメリカにいるんだから気にかけてくれてもしょうがないんだから。こっちはこっちで何とかするから。帰ってこなくていいから。じゃあね。

 

と電話を切られた。

要するに遠方のムスメは役立たずと言われたようで面白くはないが、まあそれも事実だから致し方ない。

 

だが、不機嫌の矛先がムスメに直接向かったのは初めてだ。そんなに体験入居が嫌なのか?

素朴な疑問

私は、もし長生きしたら(そしてお金があれば)施設に入りたいとずっと思ってきた。

個室を与えてもらって、ご飯作ってもらって、参加したい活動だけに顔を出して、あとは自分の好きなように暮らす。物を減らして、シンプルに必要なものだけに囲まれて暮らす。探し物のない生活なんて夢のようである。

できないことが増えるだろうから、ヘルパーさんの助けを借りながら、それでもできることは自分でする。自分のやりたいことも尊重する。

プライベートを守りながら、それでも孤立しないで安心して暮らしたいという理想がある。それが私の施設に対するイメージなのだ。

 

近年、老人介護施設での痛ましい事件が後を絶たないが、どこかにいい施設があるに違いないと私は楽観的だ。

 

母が意固地に入居を拒むのは、もちろん経済的不安もあるだろう。住み慣れた環境を離れるのが不安なのもわかる。しかし、老人ホームに対するイメージが私のものとは異なるのだ。年寄りばっかり集まって退屈でみんなでラジオ体操したり、近所の幼稚園児との交流なんてもうこりごり、しかも薄味の不味い食事を食べるなんてまっぴらごめん、てなところなのだろう。

それを払拭させたくて体験入居に行ってもらいたいと思っているのだ。

 

私は将来確実におひとりさまである。しかも、その日はそんなに遠くない。

母のように私も意固地になってしまうのだろうか?

 

 

 

ハハの老人ホーム体験入居 準備編

ムスコが手筈を整えた老人ホームの体験入居も日が近づいてきた。

 

電話してハハのムスコや嫁の悪口を聞くのも気が滅入るものである。日本不在の身としては傾聴しかできることはないのだろうが、毎回聞かされるのもしんどいものだ。何とか話題を変えようと、体験入居について触れてみた。

 

これが思わぬ藪蛇になってしまった。

 

そんなこと全く聞いてない、と言うのである。

私の都合も聞かないで勝手に何でも決めてしまうなんてひどすぎる!銀行通帳の時もそうだった。

そんな所へ絶対に行かない。今から予定入れてやる!ムスコの思い通りになってたまるか!こんなことだったら死んでやる!

 

と穏やかでない。

 

見学に行ったことも、健康診断書を取りに行ったことも、ムスコと一緒に日程を決めたことも覚えていないのだ。

当日行かないとゴネられて体験入居をキャンセルすることになっても、キャンセル料は払わなくてもいいように交渉してあるそうだ。あっぱれ弟よ。

 

話題の触れ方には気をつけないと、火に油を注いでしまう。猛省中のムスメである。

 

 

 

ハハの老人ホーム体験入居

ムスコが施設を探して体験入居の予約をしてきた。ハハと一緒に見学に行き、活気のある施設で、外出も自由にできるし、料金も予算内でチチの施設ともそう遠くない所を見つけてきたのだ。

 

まだ要介護1である。まだ施設入居しなくても独居できるはずなのだが、状況が改善される見通しが立っていない。

ムスコの同居もムスメの帰国&同居も現実的ではないので、ハハの寂しさは埋められない。

ヘルパーに来られるのは嫌がる。宅配の食事は口に合わないので断ってしまい、食事が十分に取れていない。

曜日の感覚が薄れてきたので、自分の予定が把握できていないことが多くなった。人との約束が守れないことが増えた。区民センターの活動もいつ行けばいいのか分からないこともある。人との交流が減り、孤立していく。

 

そこへガスつけっぱなし事件があり、ムスコも焦ったのだろう。

 

今から施設に入居すればまだ環境の変化に適応できる余力はあるとムスメは思う。食事がきちんと摂れて、投薬管理できて、規則正しい生活が送れれば、抑うつ状態も改善できるのではないか。社交的なハハのことだから友人もできるだろう。エアコンやテレビのリモコンを探さなくて良い生活、今日が何のゴミの日だったか毎朝分からない不安、もう生きていたくないと思う日々から少しでも解放されてほしい。

 

ハハは嫌がるだろうが、気軽な気持ちで体験入居してもらいたいと思う。一週間試してみて、やっぱり嫌だと思えばそれでよし、思ったほど悪くないと思ってもらえれば今後の参考になる。

とうとう恐れていたことが

ついに起こってしまった。

ガスをつけたまま忘れてしまったらしい。

 

ムスコも詳しいことが分からないのだが、看護師が訪問した時、ガスの警報機がなっていたそうだ。ハハが在宅していたのか、留守だったのかは不明。

ガスは一定時間以上になると自動的に火が消えるように設定されていたから、火事にはならなかったのは幸いだ。

 

ハハに電話したら、全く覚えていなかった。私がそんなことするはずないわ、と一蹴されてしまった。自己嫌悪に落ち込まれるものも困るのだが、妙に自信満々なのも困る。2度目がないことを祈るしかない。

ハハと銀行通帳とリモコン

もともと整理整頓の苦手なハハである。テーブルの上を片付けて出掛けても、帰宅後5分後にはテーブルの上には物が散乱している様相だ。一人暮らしで認知症で困難なのは大事なものが見つからなくなることだ。

 

まずは銀行通帳とキャッスカードをいつでも探している。一昨日は手元にあったが、昨日は見つからず、ムスコに持って行かれたと大騒ぎしていた。

 

エアコンのリモコンはどの部屋のものも見つからないらしい。よしんば見つかったとしても違う部屋のエアコンだからか作動しないと言う。電池が切れているのかもしれないよと言っても、どの電池をどこに入れたらいいか分からないらしい。部屋ごとにエアコンのメーカーが違うのも悩ましい。

 

高齢者が自宅で熱中症になると言われているが、もちろん”勿体なくて”使えない人もいれば、エアコンが嫌いだという人もいるだろうし、暑さを感じにくくなっている可能性もあるが、ハハのようにリモコンが見つけられない、電池が交換できなくて操作できなくなってしまっている人も多いのではないかという気がしてきた。

 

各メーカーさんにはお願いしたい。メーカー共通のリモコン、押しやすいボタンと文字の大きいリモコンを作っていただけないものだろうか。メーカーによって操作が異なると高齢者にとっては大きな混乱となるのです。

 

ハハの嫁への思い

嫁いびりを推奨したのは遠藤周作氏だったか?

 

ハハの嫁への不満が止まらない。ムスコへの不信感が引き金になり、嫁としての責任を全く担っていない、経済的援助は十分にしているのに感謝されたことがない、ご機嫌伺いの電話一本もかかってこないとおかんむりだ。

ハハは義理の両親と同居して介護したし、義理の両親を見送ってからは自分の両親の介護もしたと自負がある。介護のために自分の時間が奪われたと思う反面、無理してまでも親孝行したため、嫁にも同じことを要求しているのだ。同居してくれと頼んでいるわけではない、週に一度くらい電話くれたっていいじゃないか、夏休みくらい孫を連れてきて一緒に食事をしてくれたっていいじゃないか、挙げ句の果てにはこの恨みつらみを書き綴って当てつけに死んでやる、とまあ電話するたび聞き苦しいこのこの上ない。

(実際にはお嫁さんは電話してくれているのかもしれなくて、ハハが単純に覚えていない可能性も十分にある)

しかし、一人暮らしで寂しい、孫の成長を見届けなれないのは残念、と本音を表せるほど素直になれないところが難しい。

 

人生初めて自分のためだけに時間を使える時が来たのに、その喜びを享受せず、他人への不信と不満と恨みつらみで日々が過ぎて行くのは何と悲しいことだろう。

どこまでがハハの性格で、どこから認知症の症状なのか線は直線ではなくぼやけて見えなくなっている。